有機農業の話し2009年09月17日

有機無農薬ナスと有機無農薬トマトのタタキ
 有機無農薬で作った野菜って、どんなイメージがありますか。消費者の視点でいくと、「値段が高い」「虫食いがある。形が悪い。」「味が違う。美味い。」逆に「大して味に違いはない」等々、色々あると思います。
 「高い」確かにそうですね。私などは手が出ません。
 しかし、
 「虫食いがある。形が悪い。」
 これは明らかに誤解です。ましてや「虫が食っているくらいだから安全だ。」などというのはまやかしです。虫食いのあるキノコは食べられる(※虫食いがあるからといってそのキノコが食べられるとは限りません。虫と人間とは消化システムも違えば害のある成分も違います。)という迷信と変わりません。「虫食いがある」「形が悪い」というのは、技術が未熟だからであって、現代の有機農業の世界では恥ずかしくて出荷できないレベルのものです。虫食いがあるのははっきり言って美味くない野菜です。形の悪いものもまたしかり。きちんとした技術で育てられた有機無農薬野菜は虫食いもなければ形もきれい、そして何より味が明らかに違います。買って食べてみたけれど大して違わないと言う有機無農薬野菜は、虫食いほどではないにしても、失敗作だと思ってもらってかまいません。
 もちろん、技術が向上したとはいえ、どんな作物でも有機無農薬で慣行栽培(農薬・化成肥料を使う従来の農法)以上のものが出来る所まではまだ来ていません。例えばフルーツトマト。有機無農薬でフルーツトマトが安定して収穫できるようになれば億万長者になれるといわれます。もしかしたら今年、誰かがその技術を確立し、億万長者になるかもしれません。そんな日もそう遠くはないはずです。億万長者になれなくても、そんなフルーツトマトが安く買えるようにならないかなあ。

全国で蜂騒動2009年08月29日

秋の気配
 先日ミヤネ屋を見ていたら京都の南禅寺のそばで通学途中の中高生が蜂に襲われたというニュースをやっていました。今年はあちこちで蜂による被害が出ているみたいです。専門家によると、蜂の子育てが盛んなこの時期、今年のような冷夏でえさとなるものが少なかったりすると、蜂もイライラして攻撃的になるとか。
 今のところ、四万十ではこれといって特に例年と変わったことは見当たりません。ただ、蜂が少し少ない気はします。家庭菜園とはいえ農業をやっている者としては、蜂や蜘蛛は野菜を食べる虫を食べてくれるありがたい存在です。上手に付き合わないかんなあと常々思っています。とりあえずは子供に、蜂はじっとしとればなにもせんけん、と教えています。

前に住んでいたところ その② キノコ採りの話2009年08月27日

むらさきしめじ
 昨日も書きましたが、前に住んでいたところは山菜、キノコの宝庫でした。仕事が忙しくてほとんど川にも行かれませんでしたけれど、岩魚、山女の有名河川もすぐそばを流れていました。 
 この時期になると、キノコ採りのことを思い出します。冷涼なかの地では、住んでいた家の裏山などで、夏の初めにタマゴダケという傘の真っ赤なキノコが出ます。妖精の森などでよく描かれるベニテングタケと同じテングダケの仲間(このテングダケの仲間は毒キノコが多く、注意が必要です。一本食べたら絶対助からない猛毒のキノコもあります。)のキノコで、良い出汁の出るうまいキノコです。醤油の付け焼きにするのが一番ですが、炒めてよし、煮込んで良し、どうやってもうまいキノコです。派手な色のキノコは食べられないというイメージがあるのか、あまり食べる人はいませんでしたが、私などはむしろ間違えようのないキノコとして重宝していました。欠点は腐ると強烈に臭うことでしょうか。
 秋雨の頃になると、イグチの仲間が出ます。ヌメリイグチ、シロイグチ、アミタケ、チチタケ等々・・・。イグチの仲間は裏側がスポンジ状になっているのが特徴で、この仲間は毒キノコが少ないことで知られます。ついこの間までイグチの仲間には毒はないといわれていましたが、ドクヤマドリというヤマドリタケに似た毒キノコが見つかったことでイグチ無毒神話は崩れてしまいました。
 ついでに、キノコ図鑑には必ず書いてある毒キノコの見分け方、対処法の迷信をいくつか書いておきましょう。以下に書くのはすべて間違いですからお間違えのないように。

 ①縦に裂けるキノコは食べられる。 
                 → 嘘です。縦に裂ける毒キノコはあります。
 ②虫食いのあるキノコは食べられる。
               → 嘘です。猛毒キノコにも虫食いはあります。
 ③ナスや銀のスプーンと一緒に茹でると毒キノコでも食べられる。
               → 嘘です。そんなことで毒は絶対消えません。
 ④ちょっと齧ってみて苦ければ毒。
  → これはちょっと説明が要ります。これはクリタケ(食用菌)とニガク  リタケ(毒)を見分けるときには正しい方法です。しかし、だからとい   って齧って苦くなければどんなキノコでも食べられるという勘違いを   絶対にしないように。あくまでニガクリタケの見分け方です。

結局食べられるキノコを一つ一つ地道に覚えるしかありません。どんなに食べられそう、うまそうでも、絶対の自信がなければあきらめることが肝要です。これが出来なければキノコ採りに手を出してはいけません。キノコの毒を甘く見てはいけません。先ほども書きましたが、食べたら現代医学をもってしても神に祈るよりほかない(で、祈ってもまず祈りは通じない)キノコがその辺にニョキニョキ生えています。だから、キノコ採りの際は食菌と毒キノコが絶対に混ざらないように、たとえそれが崩れたほんの一部でも、菌によっては致死量に至ることがありますので、その点は注意して欲しいと思います。
 毒キノコの話がだいぶ長くなりましたので、最後に毒キノコと間違えることがほとんどないキノコを一種類紹介して今日は終わりたいと思います。初心者でも安心して採れる優良な食菌のひとつ、ムラサキシメジです。その名のごとく紫色をしたこの美しいキノコは、秋ももう終わり、霜が降りて冬になるかなぁくらいの頃に出ます。この頃になるともうきのこもあまりなく、似ているのはやや小ぶりのヒメムラサキシメジ(これも食菌) くらいですから、安心して採って食べてください。煮物やうどんの具、茹でて大根おろしで食べたりするのが定番です。
 キノコ採りするようになると野外活動の幅がものすごく広がりますので、(出来れば最初のうちは経験者の教わって)始めてみてはいかがでしょうか。奥が深くて面白いですよ。

前に住んでいたところ2009年08月26日

移住前の冬の楽しみ
 先日、以前住んでいたところを訪ねました。夕方で、知った人にも会わずに戻りましたが、妻は懐かしいを連発して感慨深げでした。四万十と違って夏の短いかの地は、もう秋の気配が確実に見て取れる感じで、この時期になると寂しくなったことを思い出しました。冬は氷点下二十度を下回ることもあり、とにかく寒いところですが、その分自然は豊かで、特に春の山菜、晩夏から秋のキノコはよく採れるといった楽しみがありました。「住んでるときは何とも思わなかったけど、離れてしばらくしてみるといいね。」と妻。妻はそういう人です。
 引っ越してたった一年ちょっとですが、二歳の長男はもちろんのこと、長女、次女、ともにほとんど記憶がありませんでした。子供の記憶というのはそういう風に出来ているもんなんだと妙な感心をしました。

四万十の知友2009年08月17日

今日の四万十はいい天気
 移住するまで、四万十川に16年間通いました。相棒のIと旅していた時は、体力があったのと懐が寂しかったのとでほとんどハイエース車中泊で、源流から河口まで隈無く旅しました。国土地理院の二五〇〇〇分の一地図をみながら、通った道を塗りつぶしていきました。ルールは決して飛ばさないことと、旧道がある場合必ずそっちを通ること。トンネルなら30秒かからない移動も、旧道を通れば軽く30分は楽しめます。川を見に来たのに川が見えんトンネルを通ってどうする、今でもそう思っています。仕事に行くのにはトンネル通りますけどね。当時は土砂崩れによる通行止めや工事の時間制限通行止めがやたらと多く、2キロ以上バックで戻らざるを得ないこともありました(Uターンできるスペースが皆無だった)。こんな旅をしていたので、四万十広域については地元の人にも負けない自負があります。端から見ればただの角刈りおんちゃん二人ですが、子供には珍しかったらしく、よく子供が遊びに来てくれました。家地川で集落の子供とカブトムシを捕りにいったことや、目黒川の沈下橋で、近所の子供と作ったそばを食べたことなどを思い出します。学生時代には中村の土産物屋で住み込みの居候して三ヶ月暮らしたこともあります。名目は研究のため。川漁師のおんちゃんの話をフィールドワークして歩いていました。おかげで知りあいが大勢出来ました。今のアルバイト先でもひょっこり旧知の人にあったり、話してみると共通の知人がいることが分かったりすることがしょっちゅうです。それはもう怖いくらいの頻度です。狭い世界ですからこちらの知人がつながるのはまだ分かりますが、少し変わったところで、私の大学のゼミの先輩が東京のH大学で教えているのですが、その先輩がアルバイト先に毎年学生を連れてやって来ていたことが分かりました。先輩の筆跡の郵便をたまたま受け取って、あれ?と思ったことがきっかけでした。こうなると少し気持ち悪いくらいです。

土佐の踊り=鳴子踊り2009年08月11日

今日は晴天
 今日の四万十はすかっとした晴天です。チリチリと肌の奥の奥まで差し込むような強力な日光が降り注いでいます。四万十川の水はだいぶ落ち着きました。沈下橋も顔を出し、水も泥水から笹濁りになりました。川原の倒れた葦で、どこまで水が来たか分かります。見ると、私の住む支流も堤防を越しそうだったところがたくさんあったのが分かります。ともかく人的被害がなかったのが何よりでした。
 今、四万十周辺の各集落では、盆踊りの練習が盛んです。私の住むこの村も例外ではありません。ここにしかない伝統的踊りこそありませんが、村人は盆踊りを楽しみにしています。中でも一番盛り上がるのはやはり鳴子踊りです。皆鳴子両手によう踊ります。それまで見ていた人も、鳴子踊りが始まると必ず鳴子を手に踊りの輪に入ります。高知のよさこいは史上初めて前夜祭が中止になってしまったようですが、昨日、今日は無事行われたみたいで何よりでした。土佐の人らあはよさこいに命はっちょるけんね。よさこいのために一年間頑張る人がたくさんいます。ええことやと思います。

誕生日がいっしょ2009年08月07日

刺身に蝋燭たてて誕生日
 八月には長男の誕生日がありました。長男は、私の父(=長男にとっては祖父)と誕生日が同じです。予定日は私の祖父の誕生日と同じ日でした。七月には私と次女の誕生日がありました。私と次女も同じ日が誕生日です。それのみならず、大家のYさんの奥さんも同じ日が誕生日です。集落のT鮮魚店にイセギとヨコの刺身を頼んで、お祝いをしました。Tさんは刺身を随分とサービスしてくれました。建具屋のTさんがミカンとブドウをお祝いにくれました。次女の誕生日にはYさんの奥さんが子供たちに洋服を買ってくれました。
 そういえば、私の以前働いていた職場の同僚は二十人程度でしたが、同じ誕生日の人が三人もいました。確率として五十人いれば同じ誕生日の人がほぼ確実にいるといいますから、あまり珍しいことではないのかもしれませんが。

秘密のケンミンSHOWの高知県民2009年08月06日

いつものお客
 本日放送の(もしかして都会の一週間遅れ?)「秘密のケンミンSHOW」で高知県が紹介されていました。
高知県民は・・・

・お客をもてなすのが好きで何かと飲み会が出来る理由を探している。
→ 本当です。誰かの誕生日だと言っては飲み、何かが獲れたと言っては飲み、お疲れ-といっては飲み、木曜日だから(別に何曜日でもいい)といっては飲み、暑いからといっては・・・等々、飲み会の口実を挙げたらきりがない。ちなみに高知では宴会のことを「お客」といいます。

・開けっぴろげでフレンドリー。
→ 本当です。初対面なのに「え~、そんなことまで話してくれるんですか~」というようなことまで平気で話してくれます。ぷらぷらしてる旅の若者を連れ帰って飯を食わせ、泊めてくれたりします。で、たまにものを盗られたりします。でも懲りずにまた同じことを繰り返したりします。

皿鉢も献杯も箸拳も全部本当です。あのまんまです。テレビ番組というのは多かれ少なかれ演出のために大げさになるところがあるものですが、こと高知県民に関しては本当です。

四国でよく聞く、四国の県民性を物語る小話があります。

四国の人がもしも一万円もらったらどうするか。
しっかり者の愛媛県民は半分使って半分貯金する。
商売上手な香川県民はそれを元手に商売を始める。
堅実な徳島県民は全額預金する。
高知県民はもらった一万円に自腹で一万円足して飲みに行く。

「徳島県民は一万円をたして二万円貯金する」等、多少の本文異動がありますが、最後のワンフレーズは一致しています。完全に高知が落ちになっていますが、自他共に認めるところなので問題ありません。

・・・・ 高知で暮らしませんか???

土佐人の洒落っ気2009年07月13日

黒尊川
 関西人は話に落ちを求めるとよく言われます。土佐の人もその例に漏れず、一つの話をするのにも、相手を笑わせないと気が済まないようなところがあります。集落の人が顔を合わせて、二言三言交わす会話の8割はこの類のものです。
 道路の看板の話を書いていて思いだしたのですが、かつて四万十沿いと旅していた頃に、面白い看板、注意書きをよく見かけました。その中から二つばかり紹介します。
 一つ目は高知市内でのことです。町なかの十字路の一角に

   ここにファミレスがあったらいいのに 

とだけ書かれた小さな看板がありました。なんの看板だろう?不思議に思って、とうとう分からず終いでしたが、次の年に同じ場所を通って疑問は氷解しました。そこにファミレスが建っていたのです。なるほどなぁと感心すると同時に、己の鈍さを思い知りました。上手い宣伝ですな。
 もう一つは、四万十町にある浦越休憩所の、谷水を汲んで飲むコップに書かれていたものです。そのコップにはただ一言

  ここが好き。

と書いてありました。この意味はすぐ分かりましたが、中には残念ながら分からなかった人もいたらしく、翌年行った時には前年と違うコップに

  ここが好き。持って行かないでね。

と書いてありました。鎖で繋いでおいたり、「みんなのコップです。持って行かないでください!」と書いたりするより、ずっといいと思いませんか。

川をきれいにしたい-たまには真面目に2009年07月08日

川辺の葦
 私はきれいな川を求めて移住しました。この集落を流れる川は、四万十川水系の中でもかなりきれいですが、村の人に言わせれば水量・水質ともに昔とは比べものにならないそうです。四万十川を旅していた頃、同じような話をたくさん聞きました。昔は川の水をそのまますくって飲んだ、透明度が30メートル以上だった、鮎は竹箒で掃いて獲った、瀬の肩にはびっしりウナギが顔出しとった・・・・枚挙にいとまありません。河の汚れの原因は山の問題から始まり、ライフスタイルの変化、気候変動に至るまで様々で、これといった特効薬はありません。知恵を出し合って一つ一つ出来ることをやって行くのみです。その一つとして、今日は川辺に生えている葦を取り上げたいと思います。
 葦類は水の中の窒素・リン等を固定化することで取り除いてくれます。その意味で非常に有り難い植物ですが、枯れると、今度は有機物等が水中に戻され、水質汚濁の原因になります。きれいだった頃の川には、今みられるような葦はほとんど生えていませんでした。理由は主に二つあります。まず一つ目が自然的要因です。度々出る水で砂利に埋まったり流されたりして葦はなかなか成長できませんでした。この裏には戦時中の森林乱伐の影響もあるので自然そのままと一概にはいえませんが、それでも河川の有機物が定期的に取り除かれることで水質が保たれてきたのは確かです。二つ目は、人為的要因です。農耕用に飼われていた牛等の飼料として葦は刈られていました。
 かつては川原にほとんどみられなかった葦も、今ではご存じの通り一面にはびこっています。これを定期的に取り除くだけでも、水質はかなり違ってくるはずです。それには葦を有効利用できれば一番なのですが、その方法はまだあまり開発されていません。滋賀県はこの問題の先進地で、コクヨ工業滋賀が中心となって、琵琶湖の葦の有効利用を模索しています(→ http://www.kokuyo-shiga.jp/reeden.aspx)。高知県でも何か出来ないでしょうか。その一つの答えが、タタキを作るときの藁の代わりに使うことではないかと考えます。黒潮町のいろりやさん(→ http://www.iroriya.jp/top )では鰹のたたきを作るのに茅を使っているようですので、試してみる価値はあるかもしれません。もう一つ、ちょっと話がでかくなりますが、水素細菌の餌にして同時にエネルギー問題解決にも一役買うという考え方があります。水素細菌とは水を分解する細菌で、その際酸素だけを体内に取り込み不要になった水素を吐き出すため、エネルギー問題の救世主として注目されている生き物です。人間にとって都合がいいことに、この生き物の餌は生ゴミや枯葉で、ゴミ問題とエネルギー問題を一石二鳥に解決してくれます。おまけに水素ですから、使っても水に戻るだけ。まさに夢のエネルギーサイクルを人間に与えてくれる、すごい奴です。この生き物の餌に葦がなればいいことずくめ。問題はその技術がまだ確立されていないこと。四電さんが先頭切ってやってくれないかなぁ。