四万十川の空を飛びたい2010年04月25日

モーターパラグライダー
たまに四万十川上空をモーターパラグライダーが飛んでいます。気持ちよさそうです。空から見る四万十川ってどんななんでしょう。

ひな帰る・・・2010年03月08日

ひな帰る
 3日の記事で、飾るところがなくて本棚に飾ってあるひな人形のことを書きました。今日のこと、仕事から帰ってきたら、そのひな人形が後ろを向いています。「なんじゃこりゃ?」妻に尋ねると、「後ろ向けておくと帰ったことになるんだって。テレビでやってた。」といいます。ひな祭りも終わって早くひな人形を片付けなければならないのですが、雨続きの湿気で片付けられません。で、テレビでやってた方法をやってみたというのです。でも、正直なんかしっくり来ません。なんかやな感じ。
 そもそも、「祭りが済んだら人形を早くしまわないと婚期が遅れる 云々」という例の話はどこから出たのでしょうか。そもそもひな人形が今の形になったのはそう古いことではないのですから、これも怪しいもんです。色々調べてみましたが、いつ頃どこから出てきた話しなのか、よく分かりません。ただ、どうしてそんなことを言うようになったのかはおおよそ察しが付きます。まず第一に、ひな人形の原型が「形代(かたしろ 。身の穢れを移す紙などでできた人形。千と千尋の神隠しで龍になったハクを追っかけてきたアレ。)」であり、そもそもが身の穢れを移した後は祓われるべき存在だったこと。その名残でしょう。今でもひな祭りの後に人形を流す行事を行っているところもあります。加えて、日本の祭りでは祭りが済んだら神様にすぐに帰ってもらうことに重点が置かれていることがあげられます。では、結婚云々はというと、これも江戸時代、ひな人形が大名の嫁入り道具の一つであったことが関係しているんでしょう。また、男女2体の神様は双体道祖神(信州や上州なんかで道端に立つ男女の姿が石に刻まれた神様)のように、結婚の神様となることが多いですしね。まぁ、そんなところでしょう。それにしても、この方法はやっぱりちょっと・・・。早く晴れて片付けられればいいのに。

土佐の男2010年01月07日

鶴の里
 もう随分と前の話になりますが、12月末の「一億人の大質問!?笑ってコラえて!」の村民グランプリに、三原村の熊谷熊生さんが選ばれました。例の、指摘されても全然チャックを閉めないおんちゃんです。グランプリ受賞はすばらしいと思いますが、いつ会ってもチャックの開いているおんちゃんはこの辺りにざらにいます。そういうおんちゃんの代表として、熊谷さんの受賞を喜びたいと思います。
 さて、今日はまた同僚N君の話から。Nくんは生まれも育ちも旧中村の、生粋の中村っ子です。昨日の夜、「ちょっと話したいことがあるんですが、飲みに行きませんか。」と後輩から電話が。なんやろうと思って店に行き、飲み始めてしばらくしても後輩はそれらしき話を切り出しません。しびれを切らして「話したいことあったがやないが?」と聞くと、「いや、ちょっといっしょに飲みたかっただけです。」と言うだけ。で、ほんとにそれだけでした。まぁええかと思って飲み終わって、料金が6000円。Nくんは4000円を出して「今日はお前から誘ったがやけん、あとは出したや。」と言うと、後輩は財布をごそごそさぐって「これしかありません。」と1500円を出します。仕方がないので「5000円貸すけん、今度会う時返したや。」といってお金を渡すと、後輩は「それでもう一軒行きましょう。」と言います。で、次ぎに行って4000円。Nくんは貸す予定だった5000で支払いを済ませて「帰るぞ~。」と言うと、後輩が、
「Nさん、せめてその1000円は返して下さい。」
・・・その1000円、Nくんのだよね?
 高知にはこういう、金が無いけど人をのみに誘う人がいるので気をつけて下さいね。でも、これが本物の土佐の男だと思います。慣れっこのNくんは全く怒っていませんでした。この間は先輩で同じ目に遭ってますしね。たいした男です。でも、このNくん、農機具屋に勤める後輩を捕まえて、「この百円、手付けで何とかならんか。」と言って130万のトラクターを本気で買おうとするような男でもあります。おっとろしや。

好きな幡多弁2009年11月27日

昨日の四万十川
 多分方言辞典には載っていない、でもとても幡多の人らしい表現があります。それは、「わりいことする。」です。意味はほぼそのままですが、幡多の人はこの言葉をこんな風に使います。
「この草は畑にわりいことするけんね。」
「こんなワイヤーらあ落としちょったら、トラクターにわりいことするぞ。」
上はやっかいな草をさしての謂いですが、抜いても埋めても生えてくるような草を指していいます。標準語で言えば、なかなか駆除できない、ぐらいでしょうか。下はワイヤーがトラクターを壊すぞぐらいの意味です。いずれも、昔国語で習ったところの擬人法というやつですかね。何と言うことはないんですが、これをごついオンちゃんらあが使うのが僕は面白いと思います。
 ついでにもう一つ。
「なんちゃぁ。」
これは「なんちゃぁないよ」(訳:そんなの何でもないことだよ。)の省略形で、英語の
「You are weicome.」  「My pleasure.」
に当たります。
「この間はすまざったね。」  「なんちゃぁ。」
こんな感じで使います。

Yさんが2009年11月12日

夕暮れの四万十川
 今日もYさんがらみで面白いことがありました。大家のYさんは、私たち家族にとって、この人なしの移住生活は考えられない人です。ものすごく親切で面倒見のいい人で、いつも気にかけてもらっています。Yさんの家はここからちょっと離れたところにありますが、家の横にYさんの納屋と倉庫があって、毎日顔を合わせます。カラスの鳴かない日はあってもYさんに会わない日はありません。ごくごく稀に顔を見ない日があると、なんだか変な気がします。
 昨日も突然やって来て、次女を保育所に迎えに行ってくれました。今日は今日で、妻が次女を保育所に徒歩で迎えに行った帰り、橋の手前でいつもの軽トラに乗ったYさんが来ました。
「家に女のお客さん来とるで。」
その来客に特に心当たりのない(ここの人ならYさんが知らないはずはありませんから)妻は、どうせ何かの勧誘かセールスだろう(この集落にそういった人が来ることは滅多にありませんが)と思い、
「多分うちは用のない人だから大丈夫だと思います。」
と御礼を言って分かれました。
 ところが、その橋を渡り終わるか終わらないかの所でまた前からYさんの軽トラが来ます。
「はや、もうおらんかった。」
それだけを伝えるために、また来てくれたのでした。Yさんはそういう人です。

新顔 ジョウビタキのジョウちゃん2009年11月10日

ジョウビタキのジョウちゃん
 近頃、我が家に新顔が加わりました。ジョウビタキのジョウちゃんです。我が家の庭を縄張りに決めたらしく、いつも洗濯物を干すロープでブランコし、私の部屋の窓に飛びついて遊び、少し離れた栗の木に行って、またロープに止まってブランコ・・・を繰り返しています。人を怖がらない可愛らしい小鳥の訪問を最初は喜んでいた妻ですが、洗濯物に糞をかけられるに及び激怒。網をあちこちに置いて、見付けると捕まえようとしては失敗しています。無駄なことを。ジョウちゃんは人をあまり怖がりませんが、バカではありません。でも、鳥捕り名人のテン(Nさん家の小型白黒猫。♂。)も我が家にちょくちょく来ては狙っているようです。危うし、ジョウちゃん。

幡多の習慣 「練習」2009年10月23日

今日も練習
 幡多の人は宴会があると大抵早く行きます。時間ぎりぎりに行く人はあまりいません。早く行って何をするかというと、「練習」と称してはや飲み始めるんです。だいたい30分前には入って飲み始める人が結構います。さすがに料理まで手を付ける人はあまりいませんが、中には幡多人の合い言葉「かまんろう」で食べ始めてしまう人もいます。かたや祝言などの最初に挨拶が終わるまで飲み始められないような会には、挨拶が終わった頃を見計らってわざと遅れて行ったりします。やれやれ。ちなみに私も大抵「練習」します。  郷に入っては郷に従え

私のバイブル 白土三平 『 野外手帳 』2009年10月14日

野外手帳
 近年、カムイ伝が映画化され、田中優子さん(法政大学でしたっけ?)がカムイ伝をテキストに授業をしたりしと、白土三平さんの再評価が盛んです。カムイ伝もカムイ外伝も、確かに現代人にとっては注釈が必要な劇画かもしれません。いろいろな読み方が出来るテキストだと思います。その、白土さんの著書に、『 野外手帳 』1993年10月・小学館ライブラリーという本があります。すばらしい本です。この本でベニテングダケを食べる所があることを初めて知りました。それも自分の地元だったので二重の驚きです。外遊び、殊に外で何かをとって食べるのが好きな人必読の本です。

事実と真実2009年10月09日

JR予土線江川崎駅
 最近、このブログに妻の話題を時々書いています。「私はノータッチだから。」といっていたはずが、この頃検閲が厳しくて、9月29日のヅガニの記事では「私は鼻息荒く『ください、是非ください。』なんて言ってない。」だとか、今月7日の台風の準備の記事では「嬉しそうだったのはあんたの方でしょうが!!!」とか、いろいろ抗議が来ます。
 私の学生時代の師匠は、ご自身の著作の中で、弟子との様々なエピソードを数多く残してくださいました。いずれも面白おかしくも馬鹿馬鹿しい話しばかりですが、我々からすれば実際とちょっと(本当はだいぶ)違ってかなり演出というか脚色があります。それについてお師匠さんはこんな言葉を残しました。
 「事実と違うという人もいるかもしれないが、これは真実である。」
至言だと思います。私の書く物は、さすがにそこまで言い切れませんが、柳田國男が遠野物語の序文で言う「自分も亦一字一句をも加減せず感じたるまゝを書きたり。」に倣って私の見たまま感じたままを書いています。嘘はありません。

大学生とお酒2009年10月05日

ツリーデッキ2
 四万十楽舎でのツリーデッキ作りには、国立K大学の学生さんたちも来ていました。昼食時の雑談で聞いた話ですが、その大学では学内全てが禁酒になったそうです。なんでも学生の飲酒運転を防ぐためなんだとか。大学の先生も来ていて、飲んだら乗らないのは大人としての常識で、そんなことを規制してやらなければならない大学は情けないし恥ずかしいと言っていました。他人事ながらその通りだと思います。
 時代も違いますし、大学も違いますが、約十年前、私の大学の友人S君の妹が高知にある国立大学(まぁ、高知大学ですな)に通っていた時のこと。飲み過ぎて大学構内で寝ていた妹を、「そんなところに寝ていたら風邪引きますよ。」と自分の家に連れ帰り、泊めてくれた高知大生(別に知り合いでも何でもない人。男性。)がいたそうです。寝床を自主的にとられた彼は、一晩中外で過ごしたんだそうな。泥酔して学内で寝る妹も豪快ですが、自分の家に連れ帰り自分が寝られなくなる高知大生も土佐の風土を感じさせます。よそで聞いたら危ない話ですが、親切話で終わるのが良いですね。朝目覚めて全く知らない家で一人目覚めた妹は、しばらくして様子を見に来た彼から全ての事情を知らされたんだそうです。それが出会いのきっかけで・・・となればドラマのようですが、残念ながらそういう話は聞いていません。