厄年って、あるんですかね?その42010年10月01日


これが幡多県民病院です。
県民病院

今住んでいるところに住もうと決めた理由の一つに、この病院 の存在があります。子連れで移住する以上、風水害や地震等の自然災害の危険が少ないところ、歩いて通える距離に保育所・小中学校があるところを選びまし た。それから、今回のようないざという時にすぐ行ける大きな病院があることも、外せない条件の一つでした。この病院は幡多地区の中心的医療機関です。

看護士さんをはじめ、病院のスタッフの皆さんはそれはそれは親切でした。本当に感謝しています。どんなことでも嫌な顔一つせずにすぐに対応してくれました し、いつも笑顔で接してくれました。その雰囲気に娘もどれだけ救われたことかと思います。付き添いで端にいる親としても安心でした。何しろ私自身、入院というものをしたことがなかったので、何をどうしていいやら分かりません。特に夜は、やはり不安です。狭い簡易ベッドで横になりながら、寝ている娘の様子をうかがっていると、「急に苦しみだしたらどうしよう」とか、いろんな思いが頭を過ぎります。実際何度かそういうこともありましたが、ボタン1つですぐに来てくれて、テキパキと対応してくれました。ホンマ助かりました。

さて、入院して2~3日は痛がっていた娘も、10日には熱も下がり、痛がらなくなりました。翌11日の土曜日は、妹・弟が来たこともあり更に元気でした。
県民病院
入院して以来、絶食で点滴治療だったので、お腹がすいてお腹がすいて仕方ない風でした。この時は予定通り1週間で退院できると高を括っていました。それぐらい元気だったんです。あとは日曜日の血液検査の結果を待って、食事開始→様子を見てよければすぐ退院・・・のはずでした。

 ところが日曜日になったら熱が上がりだし、痛みもぶり返してきました。血液検査の結果もダメ。CRP(炎症反応)が思った以上に下がっていませんでした。主治医の先生が抗生剤の種類を帰る指示を出してくれ、それからは熱も少し下がり、よくなってきた風でしたが、15日(水)の血液検査でも結果はダメ。むしろ値は悪くなっていました。先生の話では、一度痛みが引いて熱が下がったのは、おそらく虫垂の壁が破けて腫れていた虫垂内の圧が下がったためで、あの当時実際の病状としては悪化していたんだろうとのことでした。この時点で、9月19日(日)に予定されている小・中・保育所・地域合同の運動会までに退院することを諦めました。娘にそれを話すと、案外あっさりと現実を受け入れたのには驚きました。それどころではない痛さだったんだろうと思いますし、一週間以上ものを食べてないので気力も無かったんだと思います。それ以上に早く治りたい(そして大好物の寿司を食べたいー入院中、1日に100回は言っていました)気持ちが強かったんでしょう。

それでも少しずつ少しずつ娘が回復に向かっている手応えを感じつつ過ごしていたその時、さらなる試練が待ち構えているとは予想だにしていませんでした(いや、正直言うと予想していた試練でした)。

その試練とは・・・続く(引っぱる程でもないことですが、一度やってみたかった)