厄年って、あるんですかね?その4 ― 2010年10月01日
これが幡多県民病院です。

今住んでいるところに住もうと決めた理由の一つに、この病院 の存在があります。子連れで移住する以上、風水害や地震等の自然災害の危険が少ないところ、歩いて通える距離に保育所・小中学校があるところを選びまし た。それから、今回のようないざという時にすぐ行ける大きな病院があることも、外せない条件の一つでした。この病院は幡多地区の中心的医療機関です。
看護士さんをはじめ、病院のスタッフの皆さんはそれはそれは親切でした。本当に感謝しています。どんなことでも嫌な顔一つせずにすぐに対応してくれました し、いつも笑顔で接してくれました。その雰囲気に娘もどれだけ救われたことかと思います。付き添いで端にいる親としても安心でした。何しろ私自身、入院というものをしたことがなかったので、何をどうしていいやら分かりません。特に夜は、やはり不安です。狭い簡易ベッドで横になりながら、寝ている娘の様子をうかがっていると、「急に苦しみだしたらどうしよう」とか、いろんな思いが頭を過ぎります。実際何度かそういうこともありましたが、ボタン1つですぐに来てくれて、テキパキと対応してくれました。ホンマ助かりました。
さて、入院して2~3日は痛がっていた娘も、10日には熱も下がり、痛がらなくなりました。翌11日の土曜日は、妹・弟が来たこともあり更に元気でした。

入院して以来、絶食で点滴治療だったので、お腹がすいてお腹がすいて仕方ない風でした。この時は予定通り1週間で退院できると高を括っていました。それぐらい元気だったんです。あとは日曜日の血液検査の結果を待って、食事開始→様子を見てよければすぐ退院・・・のはずでした。
ところが日曜日になったら熱が上がりだし、痛みもぶり返してきました。血液検査の結果もダメ。CRP(炎症反応)が思った以上に下がっていませんでした。主治医の先生が抗生剤の種類を帰る指示を出してくれ、それからは熱も少し下がり、よくなってきた風でしたが、15日(水)の血液検査でも結果はダメ。むしろ値は悪くなっていました。先生の話では、一度痛みが引いて熱が下がったのは、おそらく虫垂の壁が破けて腫れていた虫垂内の圧が下がったためで、あの当時実際の病状としては悪化していたんだろうとのことでした。この時点で、9月19日(日)に予定されている小・中・保育所・地域合同の運動会までに退院することを諦めました。娘にそれを話すと、案外あっさりと現実を受け入れたのには驚きました。それどころではない痛さだったんだろうと思いますし、一週間以上ものを食べてないので気力も無かったんだと思います。それ以上に早く治りたい(そして大好物の寿司を食べたいー入院中、1日に100回は言っていました)気持ちが強かったんでしょう。
それでも少しずつ少しずつ娘が回復に向かっている手応えを感じつつ過ごしていたその時、さらなる試練が待ち構えているとは予想だにしていませんでした(いや、正直言うと予想していた試練でした)。
その試練とは・・・続く(引っぱる程でもないことですが、一度やってみたかった)
ところが日曜日になったら熱が上がりだし、痛みもぶり返してきました。血液検査の結果もダメ。CRP(炎症反応)が思った以上に下がっていませんでした。主治医の先生が抗生剤の種類を帰る指示を出してくれ、それからは熱も少し下がり、よくなってきた風でしたが、15日(水)の血液検査でも結果はダメ。むしろ値は悪くなっていました。先生の話では、一度痛みが引いて熱が下がったのは、おそらく虫垂の壁が破けて腫れていた虫垂内の圧が下がったためで、あの当時実際の病状としては悪化していたんだろうとのことでした。この時点で、9月19日(日)に予定されている小・中・保育所・地域合同の運動会までに退院することを諦めました。娘にそれを話すと、案外あっさりと現実を受け入れたのには驚きました。それどころではない痛さだったんだろうと思いますし、一週間以上ものを食べてないので気力も無かったんだと思います。それ以上に早く治りたい(そして大好物の寿司を食べたいー入院中、1日に100回は言っていました)気持ちが強かったんでしょう。
それでも少しずつ少しずつ娘が回復に向かっている手応えを感じつつ過ごしていたその時、さらなる試練が待ち構えているとは予想だにしていませんでした(いや、正直言うと予想していた試練でした)。
その試練とは・・・続く(引っぱる程でもないことですが、一度やってみたかった)
厄年ってあるんですかね?その5 ― 2010年10月02日
長女の入院に続き我が家を襲った泣きっ面に蜂な出来事とはーーー
実はようやく稲が実った田圃にイノシシが入ったんです。地主さんがシシ除けの電柵を張ってくれると言ってくれてたんです。でも、それには周りの草刈りが必要でした。それが、今回の騒動で間に合いませんでした。仕方がありません。
でも、妻は「仕方がない」では済みませんでした。妻は強いショックと憤りを覚えました。田植えシーズンに私が腰を壊したために、今年の稲作りは妻が近所の人に手伝ってもらいながら一からやりました。それだけに思い入れも一入です。「せっかくここまで来たのに。結構よく育ったのに。私の(←「うちの」ではないところに注目して下さい)稲を食べたイノシシを喰ってやりたい・・・・。」妻は怒り心頭です。そして本気です。
しかしながら、やっぱり対策をする間がありません。刈ってしまうにも大家さんに借りる予定だったバインダーはパンクしていて使えません。困っていたところにフラリとやってきたのが、田植えの時にも同じくフラリとやってきて草刈りを手伝ってくれたGさんです。
「 バインダー持って来て刈っちゃろうか? 」
実はようやく稲が実った田圃にイノシシが入ったんです。地主さんがシシ除けの電柵を張ってくれると言ってくれてたんです。でも、それには周りの草刈りが必要でした。それが、今回の騒動で間に合いませんでした。仕方がありません。
でも、妻は「仕方がない」では済みませんでした。妻は強いショックと憤りを覚えました。田植えシーズンに私が腰を壊したために、今年の稲作りは妻が近所の人に手伝ってもらいながら一からやりました。それだけに思い入れも一入です。「せっかくここまで来たのに。結構よく育ったのに。私の(←「うちの」ではないところに注目して下さい)稲を食べたイノシシを喰ってやりたい・・・・。」妻は怒り心頭です。そして本気です。
しかしながら、やっぱり対策をする間がありません。刈ってしまうにも大家さんに借りる予定だったバインダーはパンクしていて使えません。困っていたところにフラリとやってきたのが、田植えの時にも同じくフラリとやってきて草刈りを手伝ってくれたGさんです。
「 バインダー持って来て刈っちゃろうか? 」
この人は、やはり私たちの救世主でした。
「 お願いします!!! 」
妻は即答です。
そこからはあれよあれよという間に話が進み、
「 お願いします!!! 」
妻は即答です。
そこからはあれよあれよという間に話が進み、


こうして稲がGさんの手により刈り取られ、
気がつけば大家のYさんの奧さんや、建具屋のTさんの奧さんもハザ掛けの応援に駆けつけてくれ、
気がつけば大家のYさんの奧さんや、建具屋のTさんの奧さんもハザ掛けの応援に駆けつけてくれ、


そんなところに高知テレビが来て撮影してくれ(多分放送はなかったと思います)

我が家の危機はひとまず回避されたのでした。みなさん、いつもながらありがとうございました。その晩は盛大に飲んだことは言うまでもありません。え?長女の付き添いはどうしたのかって?実はその日、東京から私の妹が応援に駆けつけてくれたので頼んだんです。THANKS妹!
厄年ってあるんですかね?その6 ― 2010年10月03日

写真は長女のお見舞いにいただいたものの一部です。
長女の入院に際して、決して近いとは言えない距離なのに、多くの人にお見舞いに来てもらいました。
最初に来てくれたのは建具屋のTさん夫妻。Tさんは大家のYさんの義弟です。見舞いにとプリンを持って来てくれました。次に来てくれたのが近所のIさん。ブドウをくれました。それから、長女の同級生のR君一家。シュークリームを持って来てくれました。それからSさん。飴を持って来てくれました。お気づきでしょうか。皆さん、食べ物を持って来てくれたんです。長女は絶食なので、いただいたものは付き添いの親の胃袋に納まることになりました。でも、こういうところがうちの村らしっくって嬉しかったです。
学校の先生も来て下さいました。担任の先生、養護の先生、それから校長先生。お忙しい中、ありがとうございました。担任の先生は、休んでいた時に進んだ勉強を、放課後個別指導して下さっています。お世話になります。
同級生のみんなも来てくれました。ありがとうね。
大家のYさんは、最初間違えて市民病院へ行ったそうです。奧さんが家へフラリと現れて、「市民病院へ行ってしまった・・・。」と情けなさそうに言っていたのがYさんらしくて笑えました。Yさん夫妻は、後日改めて病院へ来てくれました。毎朝5時からシシトウの収穫に追われる中、ありがとうございました。
幡多高看の生徒さんも、実習と言うことで面倒をみてくれました。沢山遊んでもらってありがとうございました。私も助かりました。
職場の同僚にも迷惑を掛けました。2週間、二人だけで現場の作業をやってもらいました。「こっちは2人でかまんけん、しっかり看病してやったや。」といつも言ってくれました。おかげで気兼ねなく休んで面倒みてやることができました。ありがとう。
それから、遠路はるばる助っ人に来てくれた妹。ありがとう。子供たちも嬉しかったみたい。「おばちゃん、また来てや~。」と言ってます。
長女の入院に際して、決して近いとは言えない距離なのに、多くの人にお見舞いに来てもらいました。
最初に来てくれたのは建具屋のTさん夫妻。Tさんは大家のYさんの義弟です。見舞いにとプリンを持って来てくれました。次に来てくれたのが近所のIさん。ブドウをくれました。それから、長女の同級生のR君一家。シュークリームを持って来てくれました。それからSさん。飴を持って来てくれました。お気づきでしょうか。皆さん、食べ物を持って来てくれたんです。長女は絶食なので、いただいたものは付き添いの親の胃袋に納まることになりました。でも、こういうところがうちの村らしっくって嬉しかったです。
学校の先生も来て下さいました。担任の先生、養護の先生、それから校長先生。お忙しい中、ありがとうございました。担任の先生は、休んでいた時に進んだ勉強を、放課後個別指導して下さっています。お世話になります。
同級生のみんなも来てくれました。ありがとうね。
大家のYさんは、最初間違えて市民病院へ行ったそうです。奧さんが家へフラリと現れて、「市民病院へ行ってしまった・・・。」と情けなさそうに言っていたのがYさんらしくて笑えました。Yさん夫妻は、後日改めて病院へ来てくれました。毎朝5時からシシトウの収穫に追われる中、ありがとうございました。
幡多高看の生徒さんも、実習と言うことで面倒をみてくれました。沢山遊んでもらってありがとうございました。私も助かりました。
職場の同僚にも迷惑を掛けました。2週間、二人だけで現場の作業をやってもらいました。「こっちは2人でかまんけん、しっかり看病してやったや。」といつも言ってくれました。おかげで気兼ねなく休んで面倒みてやることができました。ありがとう。
それから、遠路はるばる助っ人に来てくれた妹。ありがとう。子供たちも嬉しかったみたい。「おばちゃん、また来てや~。」と言ってます。
こういう人たちに囲まれて暮らしている私たちは幸せ者だと思います。
厄年ってあるんですかね?その7 ― 2010年10月04日
多くの皆様にご心配いただきましたが、長女は秋分の日に退院しました。17日間にわたる入院生活でした。これだけかったのは稀なケースだそうです。絶食期間があまりに長いのでということで、ゼリーと栄養飲料の食事が始まったのが16日(木)。それだけでも食べられることの喜びを感じていたようです。血液検査の結果がよくて重湯みたいな食事が始まったのが20日(月)の昼。「食事が始まれば退院はすぐだと思います。」という主治医の先生の言葉通りでした。よかったよかった。今はすっかり元通り。入院前と違うことはといえば、満腹中枢が壊れたのかと思う程食欲旺盛なことくらいでしょうか。毎日すごい食べっぷりです。1キロほど体重が落ちましたが、今は多分リバウンドしてむしろ重くなっているはずです。それくらい元気です。
今年、田植えの時期に腰を痛めるは、長女は虫垂炎に罹って入院するは、それも長いことかかるは、実った稲は半分イノシシの餌になるはで、「厄年ってホントにあるんか(私は今年前厄です)。」とも思いましたが、考えてみれば、運動会にこそ出られなかったものの、長女もすっかり元気になったし、稲刈りは皆さんのおかげで何とかなったし、そんなに悪いことばかりでもなかったと思います。私自身はと言えば、ちょっとした休みをもらったくらいのもんで、同僚には悪かったですが、むしろ良かったくらいです。これだけ娘とずっと一緒と言うこともなかなか無いですからね。入院生活も体験できましたしね。外食の連続と、それから次女と長男に寂しい思いをさせたことくらいですかね。良くなかったのは。今になってみれば、あとはまぁかえって良かったんじゃないでしょうか。
最後に、けんみん病院の屋上からの眺めを。
今年、田植えの時期に腰を痛めるは、長女は虫垂炎に罹って入院するは、それも長いことかかるは、実った稲は半分イノシシの餌になるはで、「厄年ってホントにあるんか(私は今年前厄です)。」とも思いましたが、考えてみれば、運動会にこそ出られなかったものの、長女もすっかり元気になったし、稲刈りは皆さんのおかげで何とかなったし、そんなに悪いことばかりでもなかったと思います。私自身はと言えば、ちょっとした休みをもらったくらいのもんで、同僚には悪かったですが、むしろ良かったくらいです。これだけ娘とずっと一緒と言うこともなかなか無いですからね。入院生活も体験できましたしね。外食の連続と、それから次女と長男に寂しい思いをさせたことくらいですかね。良くなかったのは。今になってみれば、あとはまぁかえって良かったんじゃないでしょうか。
最後に、けんみん病院の屋上からの眺めを。


結構いい眺めでしょ? おわり
けんみん病院周辺の食堂 ― 2010年10月05日
あまり役に立たないと思いますが、娘の入院中の私の食事情なぞを一つ・・・。
当然のことながら、付き添いに食事は出ません。県民病院は、1階に食堂、ラウンジ、ローソンがあって、それで何とか間に合わないこともないのですが、さすがに何日もになると飽きます。それに、食堂は18時には終わってしまいますし、ローソンは朝8時まで開きません。そこでなんやかんやで外へ食べに行く事になるんです。
今回頼りになったのが、以前このブログでも紹介した平田駅近くのめし屋。病院から車で5分かかりません。おかずも充実しています。焼き肉の天下茶屋もそばですが、絶食中の娘の付き添いにニンニクの匂いぷんぷんも可哀想なので、今回は行きませんでした。
めし屋と同じスタイルなのが、平田工業団地にある「ごはん屋 山本」。
今回頼りになったのが、以前このブログでも紹介した平田駅近くのめし屋。病院から車で5分かかりません。おかずも充実しています。焼き肉の天下茶屋もそばですが、絶食中の娘の付き添いにニンニクの匂いぷんぷんも可哀想なので、今回は行きませんでした。
めし屋と同じスタイルなのが、平田工業団地にある「ごはん屋 山本」。

こちらはめし屋と較べるとチトお高めです。

上の写真のメニューで確か1000円くらい。
それから今回初めて行ったのがスワロー会館。写真はスワロー定食(という名前だったと思います)ですが、これで800円くらい(ご飯大盛りなので)だったと思います。
それから今回初めて行ったのがスワロー会館。写真はスワロー定食(という名前だったと思います)ですが、これで800円くらい(ご飯大盛りなので)だったと思います。


ハンバーグ、エビフライ、ポークソテーでこの値段はお得じゃないでしょうか。
でも、なんといっても私の一押しは、こちらも以前紹介した食堂「とらさん」。
でも、なんといっても私の一押しは、こちらも以前紹介した食堂「とらさん」。


おすすめの唐揚げ定食650円。カツ煮定食700円も美味かった。
この店は以前5人で行って、他の4人が唐揚げ定食を頼み、最後に私がチャンポンを頼んだら、大将に
「 エィ~←(エとイの中間音) 」
と奇声を上げられ、
「 唐揚げにしろよ~。 」
と言われた例の店です。
昼の雰囲気もさることながら、夜この店に行くとホントに面白い。近所の常連さんたちが集まって、いつも大将と飲み会です。もっとも肝心の大将は、フライングして2時くらいから飲んでいるので、夕方には完全に酔っぱらっています。夕方、 「かまんですか~。」と入っていくと、
「もう酔うちょうけん、出来るものしか出来んぜ~。」
と応えが返ってきたりします。でも、酔っていても腕は確かなのがすごい。いつ行っても美味いです。その時々によって、ご飯のお代わりや大盛りの金額が変わってしまうのも一興です。
ある時なんぞ、常連さんの飲んでるまっただ中に突入。みんな名々に買ってきた肴で勝手に飲んでます。そこにまた別の常連さんがすでにかなり酔って登場。ビール1本頼んで、大将に
「 おめぇはビール1本1000円だ! 」
とふっかけられてます。
「 ばっきゃろー、どこの世界に1本1000円のビールがあるんだ! 」
とそのおんちゃんが応じると、
「 そりゃ~、おめぇ、オカマバー行ったらコップ一杯1000円よ。 」
と大将。そんなやりとりをしながら、
「 刺身なんかある? 」
というそのお客さんに、
「 あるぞ~。 」
と、大将は常連さんが持って来た刺身を取り分けて出してます。そんな店です。
そのお客は、
「 おりゃ~、摩天楼に行って歌うんだ! 」
と息巻いて帰って行きました(この摩天楼という店もとらさんに負けないすごい店だと同僚のN君が教えてくれました。レポートしに行ってみたいですが、勇気が出たらまたいずれ)。
また、別のある時は、私が店に入るなり、
「 なんだよ~、男かよ~。女ならタダにしてもよかったのに・・・。 」
とおっしゃいます。
「 おんちゃん、俺付いてるもの付いてるから金払うけん、めし喰わしてや。」と頼むと、
「 いらっしゃいませ。ご注文、何でもどうぞ。 」
と歓迎してくれました。ええ店です。
この店、幡多初心者にはお勧めできませんが、ディープな高知フリークの皆さんにとっては外せない店だと思います。一度是非どうぞ。
この店は以前5人で行って、他の4人が唐揚げ定食を頼み、最後に私がチャンポンを頼んだら、大将に
「 エィ~←(エとイの中間音) 」
と奇声を上げられ、
「 唐揚げにしろよ~。 」
と言われた例の店です。
昼の雰囲気もさることながら、夜この店に行くとホントに面白い。近所の常連さんたちが集まって、いつも大将と飲み会です。もっとも肝心の大将は、フライングして2時くらいから飲んでいるので、夕方には完全に酔っぱらっています。夕方、 「かまんですか~。」と入っていくと、
「もう酔うちょうけん、出来るものしか出来んぜ~。」
と応えが返ってきたりします。でも、酔っていても腕は確かなのがすごい。いつ行っても美味いです。その時々によって、ご飯のお代わりや大盛りの金額が変わってしまうのも一興です。
ある時なんぞ、常連さんの飲んでるまっただ中に突入。みんな名々に買ってきた肴で勝手に飲んでます。そこにまた別の常連さんがすでにかなり酔って登場。ビール1本頼んで、大将に
「 おめぇはビール1本1000円だ! 」
とふっかけられてます。
「 ばっきゃろー、どこの世界に1本1000円のビールがあるんだ! 」
とそのおんちゃんが応じると、
「 そりゃ~、おめぇ、オカマバー行ったらコップ一杯1000円よ。 」
と大将。そんなやりとりをしながら、
「 刺身なんかある? 」
というそのお客さんに、
「 あるぞ~。 」
と、大将は常連さんが持って来た刺身を取り分けて出してます。そんな店です。
そのお客は、
「 おりゃ~、摩天楼に行って歌うんだ! 」
と息巻いて帰って行きました(この摩天楼という店もとらさんに負けないすごい店だと同僚のN君が教えてくれました。レポートしに行ってみたいですが、勇気が出たらまたいずれ)。
また、別のある時は、私が店に入るなり、
「 なんだよ~、男かよ~。女ならタダにしてもよかったのに・・・。 」
とおっしゃいます。
「 おんちゃん、俺付いてるもの付いてるから金払うけん、めし喰わしてや。」と頼むと、
「 いらっしゃいませ。ご注文、何でもどうぞ。 」
と歓迎してくれました。ええ店です。
この店、幡多初心者にはお勧めできませんが、ディープな高知フリークの皆さんにとっては外せない店だと思います。一度是非どうぞ。
四万十、急に秋めいてきました ― 2010年10月06日
四万十は、この夏の猛暑が嘘のように急に秋めいてきました。朝なんぞ寒いです。ここのところバイクで通勤してますが、体が冷え切ってしまいます。

こうしてみると、近所の川も何となく秋らしい感じです。
しかしそこはそれ、秋の味覚という楽しみが待っています。
しかしそこはそれ、秋の味覚という楽しみが待っています。

ズガニを肴に日本酒。
この酒は、妻の幼なじみのKちゃん(昨年この酒の杜氏のところに嫁にいった)が送ってくれました。ちょっとシャンパンみたいな酒です。
白玉の 歯にしみわたる 秋の夜の 酒はしずかに 飲むべかりけり
賑やかな我が家の食卓ではなかなか牧水にはなれませんが、しみじみと
「 あぁ、秋だなぁ。 」
と思います。
この酒は、妻の幼なじみのKちゃん(昨年この酒の杜氏のところに嫁にいった)が送ってくれました。ちょっとシャンパンみたいな酒です。
白玉の 歯にしみわたる 秋の夜の 酒はしずかに 飲むべかりけり
賑やかな我が家の食卓ではなかなか牧水にはなれませんが、しみじみと
「 あぁ、秋だなぁ。 」
と思います。
ズガニ再び ― 2010年10月07日
昨日も書いたばかりですが、今日ももらいました。ズガニ。

隣というか向かいのNさんが茹でて持って来てくれました。いつもありがとうございます。子供たちは、
「 メスがいぃ~。メス食べた~い。 」
と、はや大はしゃぎです。このカニ、やっぱりメスの方が美味いんです。特に卵はタラコにも似て絶品。お酒がすすみます。
せっかくなので顔のアップも。
「 メスがいぃ~。メス食べた~い。 」
と、はや大はしゃぎです。このカニ、やっぱりメスの方が美味いんです。特に卵はタラコにも似て絶品。お酒がすすみます。
せっかくなので顔のアップも。

かわいいでしょ。ちなみにこれはオスです。
小泉武夫先生ではありませんが、今日の夕飯は我が家に5人のムサボリビッチ・カニスキーが現れました。珍しく誰も喋らない静かな夕食でした。
小泉武夫先生ではありませんが、今日の夕飯は我が家に5人のムサボリビッチ・カニスキーが現れました。珍しく誰も喋らない静かな夕食でした。
四万十川河口でウルメが釣れています。 ― 2010年10月08日

ここのところ天気が荒れていますが、そんな中、下田の四万十川河口でウルメが釣れています。風ビュービューの波バッシャンバッシャンの中、釣り人たちはウルメ釣りにいそしみます。写真は先日のものですが、すごいのは、見えるでしょうか、赤ん坊をオンブしたお母さんが釣りしていることです。家族で来てたんですが、大人が飛ばされそうな強風の中、すごい人だと思いました。あの赤ん坊、きっと強く育つでしょう。そして、釣りバカになるんでしょう。頼もしい限りです。
秋らしい夕食 ― 2010年10月09日
ここのところ食べることばかり書いている気がします。
今日の我が家の晩ご飯はこれ。

松茸ご飯です。
松茸はもちろんもらい物です。田舎から「もらったから・・・。」と送られてきました。私の田舎は松茸の産地で、この時期になるとおんちゃんたちが松茸山を入札します。松茸の当たり年は大もうけ。外した時は・・・というギャンブルです。もっともうちはそんな世界とは無縁でしたから、この時期になると山に入れなくなるのが子供心に気にくわなかったのを覚えています。
それはそれとして、松茸となれば、お酒も必要。
松茸はもちろんもらい物です。田舎から「もらったから・・・。」と送られてきました。私の田舎は松茸の産地で、この時期になるとおんちゃんたちが松茸山を入札します。松茸の当たり年は大もうけ。外した時は・・・というギャンブルです。もっともうちはそんな世界とは無縁でしたから、この時期になると山に入れなくなるのが子供心に気にくわなかったのを覚えています。
それはそれとして、松茸となれば、お酒も必要。

いつもはビールと呼んでいる第三のビールですが、今日ばかりは奮発して銀河高原ビールにしました。お酒は妻の友人Kちゃんの旦那さんが造った酒。旦那さんの名前がついています。華やかな感じのお酒でした。手前はせっかくなので焼き松茸。うまかった。
メインのおかずはこれ。
メインのおかずはこれ。

どう見ても寄せ鍋かちゃんこですが、これが我が家のおでんです。練り物は沈んでますが、ちゃんと入ってますし、はんぺんもあります。ちょっと普通と違うのは、キャベツやもやし、キノコ類が入っていることでしょう。おでんは鍋物なのに何か野菜不足になるのでこうなりました。「こんなのおでんじゃない!」と思うかもしれませんが、一度お試しあれ。野菜やキノコが入ったほうが断然美味いです。
愛媛へお出かけ ― 2010年10月10日
今日は家族で愛媛方面へ行くことにしました。特に目的地があった訳ではありませんが、南予レクのどこかで遊べばいいだろうということで、何となく56号線を愛媛方面へ。で、何となく出てきた表示で行ったのがここ。



丘の上にある公園でした。スライダーに乗って遊んだりしました。
今日は天気も良く、海の向こうに九州もはっきり見えました。
今日は天気も良く、海の向こうに九州もはっきり見えました。

ちょっとこの写真じゃ分かりませんね。
ひとしきり遊んだ後は、御荘MIC(御荘の道の駅)でお弁当を買って、西海へ。
ひとしきり遊んだ後は、御荘MIC(御荘の道の駅)でお弁当を買って、西海へ。

こんな海を眺めながら昼ご飯です。イカ釣りしてる人たちが大勢いました。
そこから半島をぐるりとドライブ。
そこから半島をぐるりとドライブ。

石垣で名高い外泊にも行ってきました。
帰りは城辺?一本松?のおっとろしやという直販で刺身(鰹刺身一さく300円・松イカ刺身用4杯200円・鯛のアラ2尾分250円)やミカンを買って、一本松温泉に入って帰ってきました。 おしまい
帰りは城辺?一本松?のおっとろしやという直販で刺身(鰹刺身一さく300円・松イカ刺身用4杯200円・鯛のアラ2尾分250円)やミカンを買って、一本松温泉に入って帰ってきました。 おしまい
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