シシ害 ― 2010年11月01日

珍しいことではありませんが、このところ毎日イノシシが出没しているらしく、我が家のハーブ園はハーブの香りならぬイノシシのにおいでいっぱいです。最初は何を勘違いしたか、変わったハーブの匂いだと思いました。何この匂い、コリアンダー?っていう感じ。イノシシの匂いって、なんて言うか、獣そのものの匂いですね。
さすがのイノシシもハーブは食いませんが、ハーブ畑のミミズを掘り返すのでそりゃもう畑は滅茶苦茶です。至る所穴ぼこだらけ、倒されたバジル、パイナップルセージ、オーデコロンミント、レモングラスetc・・・。今年は米も食われましたし、腹が立たないと言えば嘘になりますが、5月の寒波の影響で庭の柿ひとつなってない状況ですから仕方ありません。イノシシだって異常気象の割を食ってるんです。ちょっとした仲間意識が生まれそうです。
さすがのイノシシもハーブは食いませんが、ハーブ畑のミミズを掘り返すのでそりゃもう畑は滅茶苦茶です。至る所穴ぼこだらけ、倒されたバジル、パイナップルセージ、オーデコロンミント、レモングラスetc・・・。今年は米も食われましたし、腹が立たないと言えば嘘になりますが、5月の寒波の影響で庭の柿ひとつなってない状況ですから仕方ありません。イノシシだって異常気象の割を食ってるんです。ちょっとした仲間意識が生まれそうです。
5日ほど更新を休みます ― 2010年11月02日

明日から7日の日曜まで、ブログの更新を休みます(多分)。嬉しいことに小中学校の同級生の婚礼が東京であって、呼んでもらったので出席してきます。ついでにちょこっと里帰り。キノコ採りでもしてきます。更新できる環境ならするつもりですが、ちょっと分かりません。このところちょくちょく休んではいろいろな方にご心配いただきましたので、とりあえずご連絡まで。
幼なじみの結婚式 ― 2010年11月08日
久しぶりの更新になります。昨日の21時過ぎにもんてきました。
ここからしばらくは幼なじみの結婚式に出て、そこから油を売ってきたことを書きたいと思います。
さて、11月3日の文化の日。昨年の5月にうちに遊びに来てくれた幼なじみのKが、晴れて結婚とあいなりました。いやぁ~目出度い。式に呼んでくれたので、高知龍馬空港10時50分発のANAに乗るべく、早起きして車で空港へ。
朝の四万十川が綺麗でした。
ここからしばらくは幼なじみの結婚式に出て、そこから油を売ってきたことを書きたいと思います。
さて、11月3日の文化の日。昨年の5月にうちに遊びに来てくれた幼なじみのKが、晴れて結婚とあいなりました。いやぁ~目出度い。式に呼んでくれたので、高知龍馬空港10時50分発のANAに乗るべく、早起きして車で空港へ。
朝の四万十川が綺麗でした。

当日は天気も良好。四国の海岸線もよく見えました。

羽田着が昼。広尾のロザンジュイアで15時15分開始の式までしばらく時間もあるので、京急で三田に行き、そこからぷらぷらと歩きました。町並みも随分と変わり、行きつけだった店(あればそこで昼飯にしようと思っていた)がなくなってしまっていたりで、少し寂しい気分を味わいながらの散歩でした。仕方なく古川橋のそばにあるホープ軒(ここもよく行った)でラーメンをすすり、ビールを一杯飲みました。で、とぼとぼ(ふらふら)と式場へ。広尾のあの辺って、それらしい雰囲気の建物がいっぱいあって少し迷いました。早めについて着替えようと思ったのですが、同じことを考えている人が沢山いて、着替え室になかなか入れません。「しばらくこちらでお待ち下さい。」と通された部屋には正装した両家の親族がずらり。そこにTシャツチノパンみたいな格好で飛び込まされたんです。新婦とは小中学校同じクラス(といっても小学校は1学年1クラスしかなかった。ちなみに人数は21人。)で、兄ちゃん姉ちゃん、お父さんお母さんももちろん面識があるんですが、そこはもう何年も会っていない、兄ちゃん姉ちゃんに至っては小学校の時以来なので、誰が誰か、面影があるような気はしますが確信が持てません。高知ではないので「今日は皆さん、結婚式みたいな格好してどうしたがですか?」とかなんとか軽口のひとつもたたけなかった自分が情けない。
着替えも終わり、他の幼なじみとも顔を合わせ、教会での結婚式へ。バージンロードを進む新婦をエスコートするお父ちゃんの眼にはうっすらと涙が。それを見て私の隣にいた幼なじみN(♂)は「俺もうダメだ」ともらい泣き。幼なじみK(♀)ももらい泣き。涙をハンカチで拭いたと思ったら新婦を写真に撮る。で、また泣く。みんなに愛されて、新婦は幸せな奴だと思いました。
式が終わって披露宴へ。
着替えも終わり、他の幼なじみとも顔を合わせ、教会での結婚式へ。バージンロードを進む新婦をエスコートするお父ちゃんの眼にはうっすらと涙が。それを見て私の隣にいた幼なじみN(♂)は「俺もうダメだ」ともらい泣き。幼なじみK(♀)ももらい泣き。涙をハンカチで拭いたと思ったら新婦を写真に撮る。で、また泣く。みんなに愛されて、新婦は幸せな奴だと思いました。
式が終わって披露宴へ。

食べたことのない御馳走ばかりでした。ここでもビールを注ぎに来てくれた新婦の両親を見て幼なじみNはまた涙。「何で?」と聞いたら、「いやぁ~、お父さんとお母さん見てたらなんかさぁ~・・・。俺なんか、この頃涙腺弱くなってダメなんだよね。」だそうです。この幼なじみNは、もちろん新婦から両親への手紙でも涙。いい奴です。


そんなこんなで酔いも手伝って、新郎新婦を見てるんだか、Nの泣き顔を見てるんだかよく分からないうちに宴はお開きとなりました。当たり前と言えば当たり前かもしれませんが、みんなに祝福されたいい結婚披露宴だったと思います。お二人の幸せと、ご両家のますますのご発展を祈念して、本日のブログといたします。
山中湖の鰻重 ― 2010年11月09日
昨日の続き。
妹夫婦のところに泊まり、車を借りて246を走り玉堤通りへ。
妹夫婦のところに泊まり、車を借りて246を走り玉堤通りへ。

そこから府中街道→野猿街道→16号→相模原経由で津久井湖へ。さらに道志道を山中湖方面へ。

途中道志の道の駅で一休み。そこにあった豆腐屋で絹ごし豆腐を食べました。

店内はこんな感じ。

これが絹ごし豆腐。大豆の味がして美味かったです。

山中湖畔は一面の紅葉。富士山もよく見えました。

山中湖のお目当てはこれ。湖岸道路から篭坂峠方面に入ってすぐのところにある「風坊」という店の鰻重。学生時代にお師匠さんによく連れていってもらった店です。この店の鰻重は注文が入ったところで鰻を捌く所からはじめるので時間がかかります。でも、待つ価値のある味。

もう十年ぶりくらいになります。

そうそう、この味。久しぶりに関東風の鰻を食べました。やっぱりこれはこれで美味いもんですね。 つづく
ビール職人の地ビール ― 2010年11月10日
鰻を食べてからは富士五湖道路から中央道に入って山梨へ。目的はここ。
清里高原・萌え木の村にあるブルーパブレストラン、「ROCK」。
清里高原・萌え木の村にあるブルーパブレストラン、「ROCK」。

キリンビールで「ハートランド」、「一番搾り」といったビールの開発に携わったビール職人、山田一巳さんが醸造長をつとめる地ビールが味わえます。

店の外にはこんなトナカイもいます。

店内はこんな感じ。さすがは高原の別荘地。ちょっと洒落ています。

メニューはこんな感じ。

車だったので飲むことが出来ず残念でした。近いうちに飲みに来ることを期して、ビンビールを買って帰りました。 続く
信州上田・刀屋の蕎麦 ― 2010年11月11日
翌日、信州上田にある「刀屋」という蕎麦屋へ行きました。かの池波正太郎先生が『散歩のとき何か食べたくなって』他で絶賛している蕎麦屋です。
上田へはじめて行き、五日ほど滞在した時に[刀屋]の蕎麦を、これもはじめて口にした。
東京では口にすることのできぬ、本物の手打ちだ。
私は先ず、その蕎麦切りの手練のほどにびっくりした。
今も老主人が蕎麦を切っているが、一種の[名人芸]だろう。
ー 中略 ー
この店を[刀屋]というのは、封建のころ、刀の鐔をつくる鍛冶職だったからである。
いかにも城下町の蕎麦屋らしいではないか。
この店の入れ込みにあぐらをかいて、ゆっくりと酒をのむ気分は何ともいえない。
合鴨とネギを煮合わせた鉢や、チラシとよぶ天ぷらなどで酒をのむわけだが、旅の気分も手つだって、まったく、
「こたえられない・・・・・・・」
のである。
池波正太郎『散歩のとき何か食べたくなって』P152~153
上田へはじめて行き、五日ほど滞在した時に[刀屋]の蕎麦を、これもはじめて口にした。
東京では口にすることのできぬ、本物の手打ちだ。
私は先ず、その蕎麦切りの手練のほどにびっくりした。
今も老主人が蕎麦を切っているが、一種の[名人芸]だろう。
ー 中略 ー
この店を[刀屋]というのは、封建のころ、刀の鐔をつくる鍛冶職だったからである。
いかにも城下町の蕎麦屋らしいではないか。
この店の入れ込みにあぐらをかいて、ゆっくりと酒をのむ気分は何ともいえない。
合鴨とネギを煮合わせた鉢や、チラシとよぶ天ぷらなどで酒をのむわけだが、旅の気分も手つだって、まったく、
「こたえられない・・・・・・・」
のである。
池波正太郎『散歩のとき何か食べたくなって』P152~153

外観はこんな感じ。平日の二時過ぎだというのに、お客が入れ替わり立ち替わりひっきりなしでした。

これが盛り蕎麦。太めの蕎麦ながらふつふつとした歯切れの良さ、のどごしの良さ、そしてその後に来る新蕎麦の香り。絶品です。

池波正太郎の愛した蕎麦をすすりつつ真田太平記の世界に遊ぶ、珍しく文化的な一食となりました。 まだまだ続く
ブルーパブレストラン「ROCK」リベンジ→返り討ち ― 2010年11月12日
刀屋で蕎麦を食べた晩のこと、どうしても日本一のビール職人の地ビールを現地で飲みたくて、小学校以来の友人Oを誘って(Oは酒をのまないので運転手として)もう一度清里へ行きました。決して近い距離ではありません(片道2時間以上かかる)が、もはや執念です。
夜の「ROCK」はまた雰囲気がありました。付き合わされたOもいい迷惑だったでしょうが、ROCKはカレーも名物(たしかに美味かった)です。カレーなら三日続いてもご機嫌な超々カレー好きのOはそれで許してくれたと思います。

現在ROCKで飲める地ビール「TOUCH DOWN」は6種類あります。全種類飲み比べようと意気込んで行ったんですが、何の間違いでか、最初に頼んだピルスナーがこんなジョッキできてしまいました。
・・・・・飲めるのか?

料理の皿と較べて下さい。これが1杯目です。ザワークラウトも旨かったし、ソーセージ盛り合わせも美味かった。ジャガイモをサワークリームで和えたものも滅茶苦茶美味かった。でも、・・・・ 全部飲めるのか?大丈夫なのか、自分?

このビール、たしかに美味いです。ごくごくイケます。元来酒が強い方ではありませんが、土佐でだいぶ鍛えられて多少の付き合い程度は飲めるようになりました。これも近所の皆さんのお蔭です。

でも、飲んでも飲んでも減っていきません。おまけに、今回初めて実感したんですが、標高の高い所ってホントに酔いが早く廻るんですね。いつものペースと明らかに違います。普段暮らしている所が標高100メートル以下、この夜は標高1300メートルです。肝臓の高地トレーニングしてるようなもんです。
で、やっとの事でジョッキを空け、この後一番人気のデュンケルを飲みましたが、その写真がもうありません。それはつまりそういうことです。リベンジを期して返り討ち。こりゃ~もう一度行かにゃ~なりますまい。
で、やっとの事でジョッキを空け、この後一番人気のデュンケルを飲みましたが、その写真がもうありません。それはつまりそういうことです。リベンジを期して返り討ち。こりゃ~もう一度行かにゃ~なりますまい。
羽田空港内 新宿「アカシア」のロールキャベツ ― 2010年11月13日
花のお江戸最後の食事は、羽田空港内にある「アカシア」のロールキャベツです。私は全く知りませんでしたが、空港まで送ってきてくれた妹の勧めで食べました。妹は新宿の本店まで食べにいったこともあるそうな。さすがは我が妹。
洋食の老舗「アカシア」のロールキャベツシチュー。昔懐かしい感じの味です。給食を思い出すかも。

ハンバーグ、ホタテのクリームコロッケと、ポークソテー?ハムステーキ?忘れましたが、とにかく旨かったです。

それからレバカツ。注文した時は月島なんかで食べる串に刺さって旗みたくなってるのを想像してましたが、実際はレバーペーストをカツレツにした、これはこれでちょっとした上品な洋食。でも、ビールに合いそうなのはどっちも同じ。

腹パンパンになって飛行機に。
よく食った里帰りでした。 おわり
よく食った里帰りでした。 おわり
クリーンカンペーンと小学校の参観日 ― 2010年11月14日
今日は朝から親子共々忙しい一日でした。
まずは朝8時から集落の人、小中学生で集落のゴミ拾い。クリーンカンペーン(キャンペーンではありません。カンペーンです)といって、毎年の行事です。
まずは朝8時から集落の人、小中学生で集落のゴミ拾い。クリーンカンペーン(キャンペーンではありません。カンペーンです)といって、毎年の行事です。

まずは朝7時から集落の人、小中学生とその保護者で集落のゴミ拾い。クリーンカンペーン(キャンペーンではありません。「カンペーン」です)といって、毎年の恒例行事です。いくつかの班に分かれて集落を回ります。

地道な活動が実を結んでか、年々ゴミが少なくなっているような感じがします。
途中、田圃に山羊がいたりします。Iさんのうちの山羊です。
途中、田圃に山羊がいたりします。Iさんのうちの山羊です。


小学校の男の子たちも、真似して「旨そう」を連発。ちなみに高知に山羊を食べる習慣はありません。
こんな山羊です。集落で除草に大活躍中。保育所の草も食べてもらっています。
可愛いでしょ。
可愛いでしょ。

その後小学校の参観日。子供たちの音楽の発表会や、

親子でのスポーツ(ドッヂボールとキックベース)で楽しみました。昼食のお弁当をみんなで一緒に食べて、午後からはいよいよ小中学校の子供と先生、集落の人が参加してのバス停づくりです。この日のために約三ヶ月、準備してきた集大成です。 明日へ続く
小中学生とバス停づくり ― 2010年11月15日
昨日の続き。クリーンカンペーンの一方でこちらはバス停づくりの段取り。

午後から、小学校、中学校、その保護者と集落の人たちでバス停の組み立てと設置をしました。3つの班に分かれて3箇所分のバス停づくりです。

子供たちにはバス停に附けるキャラクター「やまぼう」の顔を描いてもらったり、木を組み、ボルトを締める、インパクトドライバーを使ってネジ止めをする等の作業をしてもらいました。みんな楽しそうです。
出来上がったバス停は軽トラで運んで設置します。
これは重たいので大人の仕事。
出来上がったバス停は軽トラで運んで設置します。
これは重たいので大人の仕事。

完成したバス停前で記念撮影です。

新聞社の人の注文でポーズを付けて一枚。

これが「学校前」バス停の完成品です。

なかなかの出来でしょ?早くも「あれ、うちにも一つ作ってくれない?」という人が何人もいます。作業に参加してくれた人たちと、このバス停を使ってどんな遊びをしようかという話題で盛り上がりました。小さな飲み会(やっぱりこれが一番多かった)や、縁側将棋大会など、これからまた楽しめそうです。
こちらは「局前(郵便局前)」バス停。

局前のやまぼう。

全部で6箇所のバス停を作りましたが、やまぼうの顔とポーズは一つ一つ違います。季節ごとに服装を変えたりする予定です。
今回改めて感じたのは、この地域の底力です。典型的な少子高齢化の中山間地ですが、その道のプロが大勢いて、皆さんが快く協力してくれ、あれよあれよという間に企画が実現してしまいました。企画立案から行政との交渉まで一人でこなした言い出しっぺのMさん、設計図を書いてくれたTさん、材を無償で提供し、作業の場所も提供してくれた建設会社の社長さんや、材を引いてくれた大工さん、加工をしてくれた大工さん、下塗りをしてくれたペンキやさん、やまぼうをチェーンソーで削りだしてくれたNさん、いつも差し入れをくれた区長夫妻、そのほか、陰に日向に力を貸してくれた地域の人たちが沢山いました。
ありがとうございました。
さて、作業の後は集落のおばちゃんたちが差し入れてくれて打ち上げ。
今回改めて感じたのは、この地域の底力です。典型的な少子高齢化の中山間地ですが、その道のプロが大勢いて、皆さんが快く協力してくれ、あれよあれよという間に企画が実現してしまいました。企画立案から行政との交渉まで一人でこなした言い出しっぺのMさん、設計図を書いてくれたTさん、材を無償で提供し、作業の場所も提供してくれた建設会社の社長さんや、材を引いてくれた大工さん、加工をしてくれた大工さん、下塗りをしてくれたペンキやさん、やまぼうをチェーンソーで削りだしてくれたNさん、いつも差し入れをくれた区長夫妻、そのほか、陰に日向に力を貸してくれた地域の人たちが沢山いました。
ありがとうございました。
さて、作業の後は集落のおばちゃんたちが差し入れてくれて打ち上げ。


ここでの話題の半分は、早くも次の企画。残りの半分は、いつものしょうもない話。みなさん、お疲れ様でした。さて、次は何をしましょうかね。
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