四万十の夕食・経済事情2009年06月25日

マンボウ
 前にも少し書きましたが、ここで暮らしていくに当たって、食費はその気になればかなり抑えられます。自前の畑(サイエンジリとかシャエンジリといいます)で出来るものだけでも結構食べられます。季節ごとに採ってきて食べられるものもかなりあります。それに、いろいろなものをもらいます。田舎で暮らしている人には分かると思いますが、みなが同じ時期に同じものを作ります。大量に出来てしまうときも同じで、他の農家へ持っていくわけにもいきません。結果、うちのような農家でない家へ旬の野菜・果物がいろいろな所から来ます。本当に助かります。有り難いです。数えたことはありませんが、均すと二日に一度は何かをもらっているでしょう。その一方で、うちは何もお返しするものがないので困ります。まあ、そんなことを気に掛けるような人たちではないので、あるときにあるものをお返しするように心がけています。
 物価については私ではあまり分からないのですが、妻は肉とラーメンが高い(焼きそばは安い)といっています。逆に安いのはやはり魚です。うちは基本的に地物しか買いませんが、今日のメインは黒潮町産朝獲れの甘エビが二百五十円、キビナゴが百円です。甘エビは半分を網焼きに、もう半分をそのまま刺身で食べました。キビナゴも刺身でいけるものですが、同じく網焼きにして、一部大人用に紫蘇で巻いて焼きました。ついでに刺身にするときに剝いた殻で味噌汁の出汁も取りました。他には家で取れたジャガイモを蒸かしたもの、もらったキュウリの塩もみ、家どれのトマト等々です。因みに一昨日のメインはトビウオの塩焼き五匹で百円(旬ものほど脂はのっていないものの美味い!)と採ってきた貝(タカラガイを除く)。昨日の夕食のメインは、鶏肉のチーズ焼き(これはさすがに買ってきた肉。でもたまにつぶしたシャモ肉をみんなで食べる。)と、一昨日産直で三百円で買って塩をしておいたグレ(メジナ)の塩焼きです。関東ではあまり食べない魚ですが、こっちのグレはうまい。旬は寒い時期なので、その頃はもう少し値が張ります。刺身・タタキ、焼き切り(皮にだけ焼き目を入れた刺身)にしたり、ぶつ切りにしてちり鍋にしたりして食べます。魚類図鑑などには磯臭いと書かれていることがしばしばですが、こんな旨い魚を食べなければ損をします。寒い時期に四万十へおいでの際は是非ご賞味を。さて、その味ですが、これも旬ではないものの、子供たち三人が取り合いして食べた(うちの子が殊更に飢えているわけでは決してない)ことでだいたい分かると思います。
 魚の話をし出すときりがありません。三月から四月にかけてはブリが豊漁で、80センチくらいのものが一本3500円くらい、今、朝どれの鰹一本が1200円くらいです。普通の魚も安いです。珍しい魚もいろいろあります。一般的に耳慣れない名前ばかりでしょうから一々あげませんが、安くて美味いものが山ほどあります。その中から、誰もが知っているけれど、あまり食べたことのある人はいないものを一つだけ。
 切り身になってしまっていますが、写真に写っているこれが、マンボウです。あの、プカプカ波間を漂うイメージがぴったりの、水族館にいたら半分以上の人が「あ、マンボウだ。」と口に出さずにはいられない、マンボウです。これを高知の人は食べます(確か房総や三陸でも食べます)。北杜夫さんが聞いたら怒るかもしれません。味は、刺身でいくとトコロテンみたいな感じです。フライにしたり、すき焼きにしたりして食べるとイカのような感じです。美味いです。安いです。醤油の付け焼きでもいけます。一応調理法を書いておきます。水分が多いので、生のものを買ったら下ごしらえ【軽く湯がいて(塩不要)水分を抜く。】がいります。それから煮るなり焼くなり揚げるなりしてください。湯がきすぎは肉が固くなるのでいけません。あくまで軽く、がポイントです。

夜中の悲鳴 移住生活の課題3?2009年06月19日

河原のトンボ
 昨晩、みなが寝静まった深更に、妻の悲鳴が響きました。跳び起きると、額に冷たいものが当たったといいます。明かりをつけて辺りを見回しても、何も変わったところはありません。大概こういう場合、子供の足でも乗っかったのだろうとなるのですが、寝相のものすごく悪い子供たちは、みな部屋の隅に散り散りになっています。どうも子供の仕業ではありません。となると・・・?布団から枕からひっくり返して探すと、いました。犯人が。
 あ、見っかっちゃった、という感じでウニャウニャと隠れようとするそれは、体長7~8センチの中型のムカデ。よく出るんですね、こいつが。
 家の中で観察できる虫はこれにとどまりません。一昨日の夜は10センチくらいのゲジゲジが出ましたし、ゴキブリの出没は茶バネ・黒ゴキを問わず日常茶飯事です。アシダカグモという大型の蜘蛛も数匹います。これは、ゴキブリの天敵ということで大事にして共同生活しています。古いうちですので、どうやってもどこかから虫たちが遊びに来てくれて、絶えずうちの中に何かが飛んでいますし、何かが床を歩いています。
 豊かな自然が残っているということは、当然虫の世界においても生物的多様性が守られているということで、別にどうって事はないのですが、中にはどうしてもダメという人も居るでしょう。あの嫌われ者のゴキブリだって、旭川出身の大学の同級生はカブトムシと間違えて飼ってましたし(北海道にはカブトムシがいないので憧れの存在だったそうです。かく言う私の母も、東京の寿司屋で壁を這うゴキブリを見て「あ、カブトムシ飼ってるんですね。」と大将に声をかけようとして妹に止められた)、どうってことない人にとってはどうってことない。しかし、ダメな人にとっては移住の課題になるくらい重い現実でしょう。
 私としては、むしろ悩みは蚊やカツボウ(ブヨ)の多さです。子供たちは気をつけていてもいつもどこか喰われています。特に長男がよく喰われる。昨夜も二箇所刺されてました。もっともこれはその長男が窓を開け放ったり、網戸を破いてしまったりすることに一番の原因があるのですが。
 決して虫が得意なわけではない妻は、初めの頃は「もう我慢できん!」と怒っていましたが、今では少しだけ慣れたようです。でも、特にムカデは嫌らしく、台所で何か足に触れたりすると「ムカデか?」と思って払いのけるのこと。でもそれは大抵ほどけた短パンの紐だったり、下げてあるタオルだったりなんですがね。昨夜もムカデ退治の後、「なんかおでこがチクチクする。」と言うので、薬をつけました。朝よく見ると、やっぱり刺されてはいませんでした。よかったよかった。

歩いて通う2009年06月17日

保育所への道
 移住の条件の所(5/30移住生活の課題2 住居)でも書きましたが、住居を決める際に、子供が歩いて通える範囲に保育所・小学校・中学校があることを重視しました。
 小一になった長女は、毎日近所の小学生といっしょに(集団登校というわけではなく、自主的にです)徒歩で通学しています。もちろん帰りも道草を食いながら(春先にはイタドリやスカンポ、蓮華をかじって、文字通り道草を食ってました)歩いて帰ってきます。なかなか真っ直ぐに帰ってこないところは親譲りといったところです。最初の数日は、学校の先生がいっしょに帰ってきてくれたのですが、娘は養護の先生も、校長先生も、みな畦道を通らせて帰ってきました。行きも帰りも、地域の人たちが見ていてくれます。知った人の車が通ると、娘も慣れたもので手を振っていきます。誰かが帰りがけに何か持たせてくれたりすることもしょっちゅうです。そのまま友達の家に上がり込んで帰らず、叱ることもしばしばですが、それも含めてすべてが子供にとって大切なことだと思います。
 次女もまた、歩いたり、自転車の後ろに乗ったりして保育所に通っています。途中に架かっている橋のうえから必ず川をのぞき、途中に生えている草をむしりながら歩きます。いろいろな生き物も現れます。今日の帰りは少し遠回りして沈下橋で鮎を眺め、そこからの帰りがけにウズラの親子に出くわしました。秋にはイノシシが掘った痕があることもありますし、春の初めには鹿が草の新芽を食べた痕もあります。木の実があれば拾い、食べられるものは食べ、いろんな事を覚えていきます。
 この集落にも少子化の波は押し寄せていますが、なんとか子供が歩いて通える環境であってほしいと思います。

梅雨入りの悩み2009年06月10日

雨の中の茄子
 やっと梅雨入りしました。今日はひどい雨です。Yさんと雇われ仕事で草刈りに行くはずが、中止になりました。
 農業をしていると恵みの雨ですが、困ったことが一つだけあります。それは、水道の水が濁ることです。この辺りの水道は、すべて谷から引いた水、つまり混ぜものなし。何も足さない、何も引かない、100パーセント天然水です。簡単な沈殿はするものの、フィルターを通すこともありません。・・・で、大雨が降るとどうなるかというと、当然濁るんですね。だって天然水だもん。コーヒーを入れようと思って水を汲むと、蛇口からコーヒーが出てきます。色だけだけど。ちょっとしたフィルターなんかじゃすぐ目詰まりを起こして使い物にならなくなります。風呂がまたすごい。子供の時の夢でした。水たまりのお風呂。しかもちゃんと温かい。洗濯するとかえって汚れます。仮に泥汚れに強い洗剤を買っても、役に立ちません。
 ではそうやって暮らしているのか。
①比較的小降りの時にためておいて、上澄みを使う。
②スポンジ等で作った自作のフィルターで漉して使う。
③気づかなかったことにしてそのまま使う。
の三つを臨機応変に使い分けて暮らしています。でも、蛇口から水が出るだけで十分有り難いので、別に不満はありません。水道代は年間二千円だけですしね。天然水ですしね。水のせいかどうかは分かりませんけれども、この辺りには知っている限りでアトピーの子がいません。移住前に住んでいたところと較べて、別の国みたいです。

Monday after 参観日2009年06月08日

宇和の海
 参観日ではしゃぎすぎたせいか、長女の咳がおさまらないので、妻が病院に連れて行くことにしました。私は次女と長男の相手です。
 こういう場合、四万十市は小児科が少ないのが不便です。ちなみに四万十市は病院数自体はけっこう多いと思います(→幡多医師会のHPへhttp://www3.netwave.or.jp/~hata-med/  ただし幡多の病院・診療所のなので、四万十市以外も含まれます)。今回は、大事をとって宿毛にある幡多県民病院へ行きました。何かの時には県民病院と地元の人たちが言う病院ですが、「けど、あそこは時間かかるぜ~。」とこれまた皆が口をそろえて言います。早く行って待たされるよりはとゆっくり出かけていった妻ですが、結局トータル2時間ちょっとかかりました。  
 せっかく出掛けたからと歯医者にもよって、なかなか抜けない乳歯を抜いてもらってきました。今回はTさんに教えてもらって幸徳歯科に行ったのですが、先生も優しく丁寧に治療してくれてよかったと言っていました。前回行った歯医者ですっかり歯医者アレルギーになってしまった娘も「怖くなかった」とおとなしく帰ってきました。やっぱり病院は評判を聞いてから行くべきですね。

移住生活の課題2 住居2009年05月30日

昨年1月4日家を探しに来て
 四万十は晴れたり曇ったりはっきりしない天気です。
 田舎暮らしとはいえ、ここでの生活には「何事もなくてやみにき」みたいな日はほとんどありません。何かしら変わったことがあって、書くネタにも困らないのですが、日記だけでは移住生活の一面ばかりになるので、今日は移住の課題について、再び書いてみたいと思います。
 今回は住居について、前回書き残したなぜ四万十市かも含めて書きます。私の場合、前の仕事の性質上、3月いっぱいまで勤めなければなりませんでした。大量に残っていた有休をもらって、本格的に家探しを始めたのが去年の3月23日です。それ以前にも、正月に来て役場巡りをしたりもしましたが、これという情報は得られませんでした。なかには、役場で調査をして、地域内に約三百軒の空き屋があることまでは把握しているものの、借りられるところまでなかなか行かないと言うような現実を話してくれる担当者もいました。みな、親切に対応してくれました。なかでも、一番親身になって対応してくれたのが、四万十市の担当者でした。仕事始め初日というのに、いろいろと調べて、相談に乗ってくれました。ありがとうございました。
 さて、なぜ四万十市か、ですが、一番は子供のことを考えてのことです。その一つ目が病院、二つ目が教育です。四万十川流域の道路事情は以前に比べて格段に良くなりましたが、それでもまだまだ1,3車線くらいの道がたくさんあります。仮に夜中などに、あるいは土砂降りの時などに子供が急に熱を出したりして、妻の運転では病院まですぐに行かれないような所では困ります。何かの時に病院まですっと行かれるところ、これが一つ目の条件。二つ目の教育云々といっても、お受験とかそういうことではありません。子供が歩いて保育園・小学校・できれば中学校まで通えるところ、さらには、高校進学に際して、家から通える範囲である程度の選択肢があるということです。通園・通学の中で学ぶことが子供にとっては非常に重要ですし、歩いて行かれるということは友達の家にも歩いて行かれるということです。子育てのために移住する以上、この線は譲れませんでした。
 もう一つ、絶対に譲れなかった条件が、文字通りの清流があるということです。四万十川流域ならばどこでも当てはまりそうなものですが、実際はそうもいえません。私は、何度か書いたとおり、四万十川広域を知っていることに関しては自負があります。いつでもある一定水準以上の水質、水量を保っている川は、そうはありません。
 まだ他にも、風水害の心配の少ないところ、夏でも夜には気温が下がるところ、等々ありましたが、今住んでいるこの家は、そのすべての条件を備えています。おまけに、本当にムラの人たちが親切です。大家のYさんはその中でもとびきり親切です。この家に住めて幸運だったと思います。
 家を探すのにあたっては、「四万十市への在住を支援する協議会」(現在は新体制での活動に向けて準備中 →http://www.shimancyu.info/page5.html)にお世話になりました。近隣の自治体では、行政が移住支援に力を入れているところもあります。たとえば、黒潮町(→ http://www.town.kuroshio.lg.jp/ijusien/index.html)、土佐清水市(→ http://www.city.tosashimizu.kochi.jp/uij/index.html)などなど。高知広域については、高知で暮らす(→http://www.pref.kochi.lg.jp/~chiiki/iju/)を見てください。ただ、やっぱりネットの情報だけでは何ともなりません。土地勘がなければ実際に何度か足を運んでみた方がいいと思います。
 先ほども書いたように、空いている家はあるのに借りられないというようなこともあります。その意味では、逆に言えば一度集落で受け入れられれば、あとはどうにでもなるような所があるのだと思います。もちろんそのためには、郷に入っては郷に従う気持ちが大切でしょう。要するに、土佐に来るなら酒を飲め、(←半分は本当)と言うことでしょうか。
 ここまで書いたところで、Tさんから晩ご飯食べに来ん(訳:飲まない)?とのお誘いがありました。これから行ってきます。

移住生活の課題1 仕事2009年05月22日

小松菜の花
昨夜は久々の雨でした。少し物足りない雨でした。このところの四万十は例年に比べ異常な小雨です。田植えを控えた農家の人たち(とその末席に加わろうとする我が家)も心配そうです。雨が少ないと、川もきれいになりません。もう少し何度かザッと雨に降ってもらって古いコケを洗い流してもらわないと、鮎も育ちません。川漁が生き甲斐の地元のオンちゃんたち(とその末席に加えてもらった私と妻)も心配してます。 
 今日は移住生活の難しい点について少し書きたいと思います。
 その第一が、収入をどうするかでしょう。私はといえば、昨年半年期間限定で臨時の勤めをさせてもらいましたが、今現在は自分で何とかしようと準備をしているような状況です。
 職を探す場合、まず頭に入れておかなければいけないのが、高知県はだいたい県民所得の数字でいえば下から二番目くらいの県だということと、その中でも幡多地区はさらに数字が低いところだということです。世に喧伝されている「百年に一度のー」と言う経済状況は間違いなくここでも見られ、なかなか良い条件の仕事はありません。この町で勤めて暮らしていくなら、医療関係か介護関係の資格が要るといっても過言ではありません。ハローワークのページを見てもらえば分かります。(→ https://www.hellowork.go.jp/kensaku/servlet/kensaku?pageid=001)勤めが難しいとなると、自分で何か始めるしかありません。
 私は物価のことはよく分かりませんが、生活費自体はそんなにかからないと思います。ただ、税金や保険料、保育費が前に住んでいたところに比べてざまに高いと妻はよく言っています。

四万十へ移住ブログについて2009年04月01日

大家さんにもらった青のりを干す
 昨年の四月に移住してまもなく一年になろうとしています。右も左も分からずに戸惑うことも多々ありましたが、地域の方々に支えられて何とかやっています。少なくとも、現段階でいえるのは、移住してやっぱり良かったということです。子供たちの生き生きした表情がその証拠です。勿論、Everything's gonna be aiirightとはいきませんが。
 移住するまで四万十川に十五年間通いました。研究にかこつけて一年のうち三ヶ月以上を中村市内で暮らしたこともあります。川の美しさに魅せられたのは勿論ですが、それ以上に私を惹き付けてやまなかったのは、幡多(高知県西部をこういいます)の、”人の良さ”です。多くのおんちゃん、おばちゃんによくしてもらいました。今では親戚みたいな人もいます。今住んでいる家の大家のYさんに至っては、別に一緒に暮らしているわけでもないのに、私たち夫婦も子供たちも、一日Yさんの姿を見ないとどうしたのかなと思うほどです。豊かな自然環境もさることながら、この人間環境の中で子供を育てたいと思ったのが、移住の一番の理由です。
 家を借りる契約をしに初めてYさんの家にうかがったときのこと、7時過ぎだったと思いますが、食事もすっかり終わったYさんは一杯やりながら待っていました。Yさんが手酌でぐいぐい飲んでいるそれは、なんと4リットルペットのかのか(焼酎)です。覚悟はしていたものの、この人と飲んだら悪気なく殺されると思いました。
 家を借りる際お世話になった「四万十市への在住を支援する協議会」の事務局長のSさんの立会の下、契約書に判を押して契約が成立した瞬間、Yさんが「よっしゃ、これで親戚じゃー。」とそのかのかを私に注いでくれようとします。車だからと断ろうとすると、「えい、えい、もう親戚じゃ。泊まってけ-。」と有り難いお言葉。と、Sさんが、それでは自分が帰れなくなるからと杯を受けてくれました。このSさんの、また飲むこと。二人で焼酎を水のように飲んでいきます。やっぱり殺される・・・と思いました。
 県外の人からすると、土佐の人は酒飲みだというイメージがあると思います。大概こういう県民性みたいなものは話半分でちょうどいいのですが、こと土佐人の酒に関しては断言します。本当です。もちろん中には一滴も飲まないという人も居ることは居ますが、95%の人は飲みます。それは老若男女問わずです。
 人の良さの話からいつの間にか酒飲みの話になってしまいました。長くなるので今日の結論

 土佐の人は大酒飲みで人がいい