なんということ2009年06月01日

中村・寿司一のサービス定食(昼のみ)650円
ちょっとした手違いですべての記事が消えてしまいました。復旧に全力を尽くします。

ジャガイモに変な実がなった12009年06月02日

ジャガイモの実?
 消滅してしまったブログの復旧作業にいそしんでいると、畑から戻った妻が「ジャガイモに実がなったんだけど、変なんだよね-。」と言います。何を当たり前な、新じゃがの季節でしょ、というと、「そーじゃなくて、花のあとに実がなってるんだよね-。」と言う。だから、花が終わったら掘ればいいんでしょ、自分でもこの間そういってたじゃない。「だからそーじゃなくて、茎に実がついてんだよね-。」
 確かになってます。ジャガイモの茎に、トマトのような実が。しかもいっぱい。

ジャガイモに変な実がなった22009年06月02日

トマトみたいなジャガイモの実
 とりあえず、収穫して切ってみました。やっぱりトマトです。
 ん?トマト?
 もしかして、これがポマトというやつでは・・・。とりあえずは調べるのを後回しにして、ブログの復旧です。妻はそんな私と子供たちを残してヨブキーズの活動にいそいそと出かけていきました。たくさん獲ってこいよ。

ポマト?それとも・・・2009年06月03日

Yさんの田んぼに落ちた次女
 なんとか復旧作業を終えました。いくつか記憶の彼方へと飛んでしまった記事もありますが、まあいいでしょう。
 さて、昨日の植物ですが、どうやらポマトとは別物のようです。Wikipediaによれば、「ポマト: ポマト(pomato)は、細胞融合によって作られたジャガイモ(potato)とトマト(tomato)の雑種。ジャガイモの茎にトマトを接いだ「ジャガトマ」とは異なる。   概要:植物細胞の細胞壁を酵素で溶解したプロトプラストをポリエチレングリコールで処理すると、プロトプラストどうしが融合する。この技術により、近縁ではあっても自然交雑できない異種間の雑種を作ることができる。ポマトは本来ジャガイモとトマトの一挙両得を狙ったものではなく、暖地性のトマトにジャガイモの耐寒性を持たせる目的で開発された。が、完成した植物はトマトとしてもジャガイモとしても不完全で役に立たない失敗作であり、一時期未来の植物と注目されたポマトは消えていった。」とあります。
 さらにさらに調べていくと、どうもジャガトマでもなく、正真正銘のジャガイモの実のようです。食べても不味いトマトの味がするだけだそうです。一応食べてみます。

妻のよぶき(略してツマブキ)報告2009年06月04日

残念ながら蛍は上手く写せません
 一昨日の夜、妻がY夫人と、T夫人と一緒に、また夜ぶきに行ってきました。途中までエビの仕掛けがあって、姿が全く見えなかった(仕掛けがあると全くダメです)ものの、途中から盛り返して、けっこう獲ってきました。これは昨日の食材になりました。
 家から歩いて3分ほどの河原から遡ったらしいのですが、川に下りるとそこいらじゅうに蛍がいて、それはそれは綺麗だったそうです。蛍は、早い時間には川の水すれすれの辺りを飛びますが、時間とともに高く上がっていきます。いいですね。蛍の光を見ながらのエビ突き。もっとも、実際行った人たちはエビ探しに夢中で蛍なんぞ見ちゃいないんですけれども。

四万十という名前の由来2009年06月05日

岩間
 今日も四万十は雨です。この降りでは、ちょっと筍採りも釣りも難しそうです。
 さて、今日は少し趣向を変えて、四万十川という名前の由来について書きたいと思います。四万十川フリークならばまず知っている説をいくつか。

 ①四万川と十川を合わせて四万十川となった。
 ②四十里の中に四万八谷(つまり、約四万十の支流)があるため。
 ③シ・マムタ=(はなはだ美しい)という意味のアイヌ語から。
 
①は幡多郡紀行という江戸末期の紀行本にある説で、今日もっともよく聞く語源解釈です。③もそのロマンチックな感じが好まれてかよく引き合いに出されますが、これは夏目漱石の弟子で理学博士・随筆家の寺田寅彦が、金田一京助、ニコライ・ネフスキーといった学者のアイヌ語研究に触発されて、四万十をアイヌ語で解釈したらどうなるかと言葉遊びで作ったもので、もちろん学問的根拠があるわけではありません。
 現段階で、最も妥当だと考えられるのが、野本寛一さんが『四万十川民俗誌』(H11年2月 雄山閣)P18で示している以下の説です。
 野本さんは、和歌山県の熊野川に残る、江戸時代、熊野川は十万十川(じゅうまんとがわ)と称して十万石の木材を十回流したことがあるという筏師の伝承から、山で木を伐採し、それを川に入れて搬送する際に何万石の木を何回出せるかを示す単位として何万何川という数え方があったのだとします。そこから、四万石の木を十回流すことができる川という意味で四万十川と呼ばれるようになったのだと推測します。
 歴史的に見ても、四万十川のの表記が出てくるのは江戸時代も半ば、1700年代のこと、それ以前の記録では、「大川」か「渡川」です。この、渡川という名の由来についても、野本さんは古くからの「辺路(へじ)修行」(五来重氏によると遍路の原型)との関わりで「禊ぎのために渡りをすべき川」という意味が原義ではないかとしていますが、風土記以来日本各地に散見する「ワタリ」という地名との関連も考えねばならないと思います。「ワタリ」は一般的には渡し場があった場所と解釈されていますが、それだけではないかもしれません。

Yさんの家の田植え2009年06月06日

 今日は朝からYさんの家の田植えの手伝いです。苗を運んだり、田植機で植えきれなかった所に苗を植えたりしたあと、「昼飯食うてゃ。」となって、出てきたのがこれ。どう見てもつまみです。このあとで焼きそばやら焼きめしやら、ご飯やらもらうんですが、それまでに大汗でカラカラの体に冷たく冷えたビールが止めることもできないままに流れ込んできたものだから、効くなんてもんじゃない。そのあとはもちろん全員昼寝です。
 午後も田植え。夜はYさんの家でイノシシで一杯。
 明日も続きです。田植えと飲み会の。

サナブリ2009年06月07日

田植えするTさん
 昨日に引き続きYさんの家の田植えです。午後からは長女の小学校の参観日だったので行ってきました。以前から聞いてはいましたが、高知(幡多?)の学校は本当に行事が多いです。参観日も三ヶ月に二回くらいの割合でしょうか。
 夜は、また昨日に引き続き、Yさん宅で宴会です。ただ、今日の宴会は一応田植え終わりの”サナブリ”(昨日のはサナブリ・イヴだそうです)ということで、正式な飲み会(?)です。サナブリとは、全国的に見られる風習で、田植えに来てくれていた田の神様(サの神)が山に帰っていく(登っていく)祭りとされます。お赤飯や、田舎寿司(筍・卵・ヨコ・イナリ)、鰹の塩たたき、イノシシのすき焼き、新じゃがのコロッケ、ジャガイモの煮物等々ご馳走が並びました。その横にはずらりと並んだ発泡酒・・・。Yさんは今日は正式な会だからとどんどん発泡酒をあけていきます。で、注いでくれます。献杯します。プシュッとあけます。注ぎます。飲みます。献杯します。ーーーこれを延々と繰り返した夜でした。なんだか以前より酒が強くなったような気がしますが、周りの人たちの飲み方を見ると、あ、錯覚だった、と分かります。
 また夫婦揃って飲んでしまったので帰りは歩きです。途中、隣というか向かいというか、150メートル離れた隣人のNさんの家も大宴会の真っ最中でした。毎度のことながら、明日が月曜とは思えません。

Monday after 参観日2009年06月08日

宇和の海
 参観日ではしゃぎすぎたせいか、長女の咳がおさまらないので、妻が病院に連れて行くことにしました。私は次女と長男の相手です。
 こういう場合、四万十市は小児科が少ないのが不便です。ちなみに四万十市は病院数自体はけっこう多いと思います(→幡多医師会のHPへhttp://www3.netwave.or.jp/~hata-med/  ただし幡多の病院・診療所のなので、四万十市以外も含まれます)。今回は、大事をとって宿毛にある幡多県民病院へ行きました。何かの時には県民病院と地元の人たちが言う病院ですが、「けど、あそこは時間かかるぜ~。」とこれまた皆が口をそろえて言います。早く行って待たされるよりはとゆっくり出かけていった妻ですが、結局トータル2時間ちょっとかかりました。  
 せっかく出掛けたからと歯医者にもよって、なかなか抜けない乳歯を抜いてもらってきました。今回はTさんに教えてもらって幸徳歯科に行ったのですが、先生も優しく丁寧に治療してくれてよかったと言っていました。前回行った歯医者ですっかり歯医者アレルギーになってしまった娘も「怖くなかった」とおとなしく帰ってきました。やっぱり病院は評判を聞いてから行くべきですね。

ヨブキーズのロゴが送られてきた 附:夜ぶきについて2009年06月09日

ヨブキーズ ロゴ
 5月31日の記事を読んで、友人Iがこんなメールをよこしました。

5/31に夜ぶきのユニフォームの話しがあったけど、ヨブキーズのロゴをデザインしてみました。近々、簡単なステッカーにして送りたいと思います。気に入って頂いたあかつきには、ぜひユニフォームに入れてください。でもスコートだけは・・・・・・。

で、今日、こんな文章とともに封書で送られてきたのがこれです。まさか本当に作るとは・・・。

拝復
 先日、メールでお知らせしましたヨブキーズのロゴ(案)ステッカーが出来上がりましたので同封します。試作品ですのでご自分でカットしてお使いください。一応水濡れに強いのですが、屋内用です。川に入る人たちに申し訳ないのですが、あくまで試作という事でご勘弁を。
 ロゴのほうですが、「満月の夜に、突いたエビを月にかざして、ご満悦。」をテーマに作成しました。決してニューヨークヤンキースのパクリではありません。 ー中略ー  気に入っていただけたらユニフォームに入れてやってください。どうしても下をスコートにするなら、アンダースコートのバックプリントにお勧めです。しつこいようですがヤンキースの真似ではありません。   敬具

ヤンキースからクレームが来ないか心配です。よこすなら日本語にしてほしい。

 ところで、何回か夜ぶきについて、Yさんの奥さんが「フランス語」と主張していることを書いたので、それを本気にしている人も居るようですが、訛ってはいるもののもちろん純然たる日本語です。小学館の『日本国語大辞典 第二版』によれば、

よぶり【夜振】夜間にたいまつなどをともして魚をとること。火振り(ひぶり)。夜焚き(よたき)。《季 夏》

とあって、家忠日記の天正九(1581)年八月二七日「川かりに夜振りに越候。」以下いくつかの用例があがっていますから、それなりに古い言葉であることが分かります。気になるのは、その後に付いている方言の中に、

③新嫁が田植後に実家に骨休めに行くこと  岡山県邑久郡

とあることです。嫁の里帰りを「かえる」「もどる」を忌んで別の言い方をすることは昔の日本では一般的でした。例えば同じ岡山だけでも「ツクリアガリ」「ハルナグサミ」「アシアライ」と、地方、時期により様々な言い方があります。そこまでは分かるのですが、なぜ里帰りが「夜振り」なのでしょう。これについて婚姻習俗語彙(国書刊行会)では、「田植え前に田に上がった魚を獲りに行くヨボリと関係ある語であらうか。」としています。しかし、仮にそうだとしても、なぜ嫁の里帰りが「夜振り」なのでしょう。ヨボリと女性は何か関係があるのでしょうか。
 一般的に昔の日本では男の仕事と女の仕事が分かれていました。田んぼで言えば田起こしや代掻きといった仕事は男、田植えは女、漁労で言うと、潜りで貝などを捕る海女や浜辺での海草とりは女性の仕事ですが、網や仕掛けで魚を獲るのは男の仕事です。もちろん体力による区分けもあったのでしょうが、信仰の問題も絡んでいて、そう話は単純ではありません。
 で、話は戻って夜振りですが、これはどっちでしょう。調べていく限りでは男の仕事とも女の仕事とも分かりません。ただ、蕪村の
 
 雨後の月 誰そや夜ぶりの 脛白き

と言う句などを見ると、これは当然女性でしょう。案外ヨブキーズの活動に熱心なのが女性ばかりなのは由緒正しきことなのかもしれません。