竹屋敷→大正→三又経由大方2009年05月01日

無手無冠
 今日は後川の出合付近で軽く小一時間釣りをしたあと(釣果:イダ・ハヤ等十匹前後)、四万十百キロマラソンのコースを走って道の駅十和へ。女将さん食堂で食事をと思っていたのですが、大繁盛で入れず、旧大正町(現四万十町)の三谷食堂で昼食をとりました。ラーメン500円・刺身定食(その日の刺身・ご飯・味噌汁・おかず一品)900円・たたき定食800円・おでん一本100円等々。ここのラーメンは私の友人にもファンが多い隠れた逸品です。鶏ガラベースだと思いますが、甘みと香りのある、何ともいえぬ滋味のあるスープがたまりません。私なぞはこのラーメンを食べるためだけにこの町まで来たりします。完全に休日モードのKは運転してくれるIに遠慮しつつも、キリンラガーを注文。たっすいがはイカンとばかりビールをグビグビ、鰹の刺身に舌鼓、ご相伴の私もビールちびちび、すじ肉ハグハグです。
 その後、打井川から三又経由で海を目指しました。途中、どうやら道を探しているらしき高知ナンバー(ナビ付き)のミニバンがいます。それとなく近づくとやはりそう。「三又へはこの道でいいですか。」と高知ナンバーミニバン。「ええ、いいですよ。」と自信満々の他県ナンバー、Iのハイエース(ナビなし)。何かおかしな光景です。道を聞いてかえって不安になったのではないでしょうか。
 海に着いた我々は、浮津でシイとカメノテを採って帰り、おつゆにしました。食事のあとは、昨日買ってきた大関に付いてたおまけの鰭でヒレ酒を作ってご満悦のKの「私小学校の時、検便で犬のうんこもってって大変なことになったんだよねー。」を始めとするしょうもない昔話に妻は笑い転げ、私とIはあきれかえって、夜が更けていったのでした。

砂浜美術館12009年05月02日

Tシャツアート展
黒潮町入野の浜で行われている砂浜Tシャツアート展に皆で行ってきました。青い空と海、白い砂浜とTシャツ。毎年のことながら爽快な光景です。子供たちは海に大喜びかと思いきや、Iの息子(4歳)と私の長男(もうすぐ2歳)は怖がって波打ち際にすら近づきません。対照的に波と戯れずぶ濡れの長女・次女・友人Kの女三人。息子のびったれた姿に業を煮やした妻は、泣き叫ぶ息子を抱えたまま海へ。結果自分が波をかぶってずぶ濡に。自業自得ですな。わたしも何かの時のために虐待の証拠をと思って海に入って写真撮影。で、自分も波をかぶってずぶ濡れに。平気平気こういう時のために防水カメラ買ったんだもんねーと得意がっていたら、びしょびしょのポケットの中から車のキーが・・・。リモコンだいじょぶかな。

砂浜美術館22009年05月02日

入野の浜
 その夜は世話になっている土産物屋のおじちゃんおばちゃんに招かれて大衆割烹 酒菜 日代峰へ。Kは「10年間忘れられなかった味=青のりの天ぷら」と再会して超超ご満悦。寿司にも大感激。おじちゃんおばちゃんに「次は10年もしないうちに人生の伴侶を連れてきます。」と宣言し、「次十年たったら50だぞ。」という私の言葉に、隣にいた妻ともども青ざめました。...

元の生活に2009年05月04日

車窓から鯉のぼりの渡し
  Kは3日の朝に、Iは今朝9時過ぎに帰って行きました。なんだか寂しい休日です。...

苗代作りとポニョの結末2009年05月05日

苗代田
 あの宮崎駿監督と鈴木敏夫プロデューサーが四万十市に来ました。私の知る限りでは、宮崎さんがこういう催しに出席することは余りないはずなのですが、なぜか来てくれました。「崖の上のポニョ」上映にあわせてトークをしてくれるのです。思えば去年の夏、中村の天神橋商店街のちょっとした催し物の時に、「宮崎駿監督を四万十市に呼ぼー」とアホな(と当時はみんなが思った)ことを呼びかけている人々がいて、おもしろそうなので私も署名をしました。まさかそれで本当によんでくるとは・・・。すごい人たちです。Tさんにチケットをもらったので、娘二人を連れて三人で行ってきました。駐車場に駐めるのは厳しそうだったので、妻に送ってもらって、市の文化センターへ。映画が初めての娘二人はすでに興奮気味です。
 司会者が出てきてトークショーが始まると、会場の大人たちは興奮のるつぼへ。なぜ四万十へ来てくれたのかという質問には、「僕たちを呼ぼうと5000人もの署名を集めてくれた奇特な人たちがいたのが理由の一つ、もう一つは、主題歌を歌っている藤岡藤巻の藤巻さん(だったかなぁ。もしかしたら藤岡さん)の奥さんが四万十出身で、おいでおいで言われてたけどまだ来たことがなかったから。」と鈴木さんが答えてくれました。
 映画が終わって、迎えに来てくれた妻のズボンがドロドロです。今日は大家のYさんの家の苗作りの日だったので、作業を手伝ってきたことは分かるのですが(本当は私が手伝うはずが映画の時間が来てしまった)、なんだか妙に嬉しそう。聞けば、作業を手伝いながら「うちもいつかは田んぼやってみたいんですぅ。」と呟いたところからすべてが動き出し、Yさんの奥さんが空いている田んぼの持ち主に電話して田んぼを借り、うちの分の苗を今作ってくれている、とのこと。やってくれました。ここの人たちは、お願いするわけではなく相談したり話したりしたことを、あっという間にやってくれてしまう人たちです。それで恐縮したことが今までも何度もありました。そしてまた今日の田んぼ騒ぎです。皆さんホントにすみません。苗作りの土も道具もすべて片付けてあったのを、また引っ張り出して家の分を作ってくれたそうです。こうして、我が家もとうとう米作りをすることになりました。私のうちも、妻のうちも、農家ではありません。まわりじゅう田んぼだらけの中で育ったものの、作るのは初めてのことです。どうなることやら。

リベンジ天然うなぎ2009年05月06日

土佐のお客
とうとう天然うなぎにリベンジを果たす日がやってきた(※4/23のこのブログ参照)。もちろん一年も住んでいるので、もう食べてはいるけれど、去年と同じこの時期のうなぎであることに意味がある、私はそう思います。隣のNさんとHさん父子が、数日かけて仕掛けを浸けて、みんなに食べさせる準備をしてくれました。聞けば朝五時から漁に出て、この冷やいのにスーツも着ずに潜ったそうです。 捕れたうなぎは、開いて、焼いて、甘辛いタレをつけて蒲焼きにします。関東のように蒸したりはしません。
 この辺りの川はきれいなので、うなぎに泥臭さはみじんもありません。味はといえば、肉そのものの味がすごく濃く、養殖物と比べると、普通の豚肉とイベリコ豚(食べたことはないけど)、またはイノシシ肉(これならよく食べる)の違いがあります。食べた瞬間に目の前が明るくなるというか、腹の底から力がわいてくるというか、なんかこう、野生の力あふれる滋味があって、海原雄山の物まねをする人のように美味さを叫びたくなるような、人をして誰かに「いいから一口食うてみぃ。」と言わせずにはおかないような、パワーのある味です。Nさん、Hさん、ごちそうさまです。このご恩は忘れません。
 去年のことを覚えているYさんは、「去年の分も食べないかん。おかわりあるでぇ。」と自分が獲ってきたわけでもないウナギの蒲焼きのおかわりを次々とくれます。私も遠慮せずにガツガツと鰻丼をかき込んで、今日も幸せな一日が終わりました。ごちそうさまでした。

土佐のお客2009年05月07日

クマノミ 柏島にて
 宴会のことを土佐では「お客」といいます。以前も書きましたが、これは凄まじい。今日、集落の飲み会が公民館でありました。大変な飲み会でした。土佐では、献杯と言って、杯のやりとりがあります。作法を書こうと思いましたが、きょうはもうだめです。またいずれ。

よぶきよ今夜もありがとう2009年05月08日

家の夕食
 案の定ひどい二日酔いで昼過ぎまで全く使い物になりませんでした。今もだめです。
 妻が近所の奥さんに夜ぶきに連れていってもらいました。夜ぶき(Yさんの奥さんによるとフランス語)とは夜の漁のことで、この辺りでは主に手長エビをヤスでついて獲ります。懐中電灯で川の中を照らしてエビを探します。漁場はおもに膝下くらいの深さで、漬け物石程度の石がゴロゴロしているところ、加えて水面が波立っていない鏡のようになっているところです。最初はなかなかエビが見えませんが、慣れてくると目が光るのが分かります。で、そのうちでかいエビの目が光ったりすると体の奥底で眠っていた縄文の血が目を覚まします。なんとしてでもそのエビを捕らねば気持ちに収まりがつきません。まぁ水の上から見ると実際よりもかなり大きく見えるので、捕ってみるとそう大したことはなかったりするんですが・・・。そんな理性で収まりがつかないのがこの夜ぶきというやつです。
 奥様方の腕はそれはもうたいしたもので、馬鹿話をしているだけかと思ってフンフン耳を傾けていると、あっという間に籠いっぱい(160~170匹オーバー)捕っていたりします。勿論私なぞのかなう相手ではありません。口でも腕でも歯の立たない私の籠の中を見て、Yさんの奥さん曰く、「あれぇ、まだ籠の底が見えるやいか。アハハハハ。」
上手くなりたいと心底思いました。
 妻は初めての夜の川にちょっと緊張したようで、へとへとになって帰ってきました。籠の中にはもらったエビをいっぱいに詰めて。

足が!2009年05月09日

柏島にて(ゴンズイ玉)
朝目覚めたら、右足を捻挫していた。訳が分かりませんが、確かに捻挫です。しばらくは謹慎です。

大潮なのに2009年05月10日

幡多の海
 大潮です。いろんな人に貝採りに誘ってもらっていたのに、この足では行かれません。子供たちは大不満。許せ。