四万十という名前の由来 ― 2009年06月05日

今日も四万十は雨です。この降りでは、ちょっと筍採りも釣りも難しそうです。
さて、今日は少し趣向を変えて、四万十川という名前の由来について書きたいと思います。四万十川フリークならばまず知っている説をいくつか。
①四万川と十川を合わせて四万十川となった。
②四十里の中に四万八谷(つまり、約四万十の支流)があるため。
③シ・マムタ=(はなはだ美しい)という意味のアイヌ語から。
①は幡多郡紀行という江戸末期の紀行本にある説で、今日もっともよく聞く語源解釈です。③もそのロマンチックな感じが好まれてかよく引き合いに出されますが、これは夏目漱石の弟子で理学博士・随筆家の寺田寅彦が、金田一京助、ニコライ・ネフスキーといった学者のアイヌ語研究に触発されて、四万十をアイヌ語で解釈したらどうなるかと言葉遊びで作ったもので、もちろん学問的根拠があるわけではありません。
現段階で、最も妥当だと考えられるのが、野本寛一さんが『四万十川民俗誌』(H11年2月 雄山閣)P18で示している以下の説です。
野本さんは、和歌山県の熊野川に残る、江戸時代、熊野川は十万十川(じゅうまんとがわ)と称して十万石の木材を十回流したことがあるという筏師の伝承から、山で木を伐採し、それを川に入れて搬送する際に何万石の木を何回出せるかを示す単位として何万何川という数え方があったのだとします。そこから、四万石の木を十回流すことができる川という意味で四万十川と呼ばれるようになったのだと推測します。
歴史的に見ても、四万十川のの表記が出てくるのは江戸時代も半ば、1700年代のこと、それ以前の記録では、「大川」か「渡川」です。この、渡川という名の由来についても、野本さんは古くからの「辺路(へじ)修行」(五来重氏によると遍路の原型)との関わりで「禊ぎのために渡りをすべき川」という意味が原義ではないかとしていますが、風土記以来日本各地に散見する「ワタリ」という地名との関連も考えねばならないと思います。「ワタリ」は一般的には渡し場があった場所と解釈されていますが、それだけではないかもしれません。
さて、今日は少し趣向を変えて、四万十川という名前の由来について書きたいと思います。四万十川フリークならばまず知っている説をいくつか。
①四万川と十川を合わせて四万十川となった。
②四十里の中に四万八谷(つまり、約四万十の支流)があるため。
③シ・マムタ=(はなはだ美しい)という意味のアイヌ語から。
①は幡多郡紀行という江戸末期の紀行本にある説で、今日もっともよく聞く語源解釈です。③もそのロマンチックな感じが好まれてかよく引き合いに出されますが、これは夏目漱石の弟子で理学博士・随筆家の寺田寅彦が、金田一京助、ニコライ・ネフスキーといった学者のアイヌ語研究に触発されて、四万十をアイヌ語で解釈したらどうなるかと言葉遊びで作ったもので、もちろん学問的根拠があるわけではありません。
現段階で、最も妥当だと考えられるのが、野本寛一さんが『四万十川民俗誌』(H11年2月 雄山閣)P18で示している以下の説です。
野本さんは、和歌山県の熊野川に残る、江戸時代、熊野川は十万十川(じゅうまんとがわ)と称して十万石の木材を十回流したことがあるという筏師の伝承から、山で木を伐採し、それを川に入れて搬送する際に何万石の木を何回出せるかを示す単位として何万何川という数え方があったのだとします。そこから、四万石の木を十回流すことができる川という意味で四万十川と呼ばれるようになったのだと推測します。
歴史的に見ても、四万十川のの表記が出てくるのは江戸時代も半ば、1700年代のこと、それ以前の記録では、「大川」か「渡川」です。この、渡川という名の由来についても、野本さんは古くからの「辺路(へじ)修行」(五来重氏によると遍路の原型)との関わりで「禊ぎのために渡りをすべき川」という意味が原義ではないかとしていますが、風土記以来日本各地に散見する「ワタリ」という地名との関連も考えねばならないと思います。「ワタリ」は一般的には渡し場があった場所と解釈されていますが、それだけではないかもしれません。
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