slow life?2010年08月01日

 今日は朝から家の畑仕事。水をやってひたすら草を刈って・・・。もっと早く刈っていればこんな事にならずに済むのですが・・・。
くさぼーぼー
これでは柚子も栗もたまりません。

草刈り機では埒があかないので、ハンマーナイフローターを借りてきました。これさえあればあっという間です。
救世主ハンマーナイフローター

それでも結局昼過ぎまでかかりました。この暑さなので子供たちは水遊びをしたがって仕方がありません。と言うことで、仕事の汗を流しに下の川へ・・・。
川遊び

川遊び
先日の大水で石も洗われ、水もぴかぴかです。近所の子供たちも来ていてみんなで大はしゃぎ。気がついたら夕方でした。

川から上がって、ハンマーを車に積んで返しに行ってきたら、Tさんからお客(宴会)のお誘いが来ていました。もちろんお邪魔してきました。

今日の献立
発泡酒・第三のビール(沢山) 白ワイン(1本)
・ナイラゲ(かじき)の刺身 ・オクラの肉巻 ・焼きウインナー ・きんぴらゴボウ
・トンカツ ・枝豆 ・昨日釣った鯛の甘酢あんかけ ・郵便局の横の畑のブドウ
・とろろ蕎麦 ・おにぎり ・挽肉とナスのトマトソーススパゲッティー 
・海鮮ジャワカレー中辛 
他にも色々ありましたが、飲み過ぎて忘れました。

田舎暮らしも結構忙しいですよ。

四万十 三里に眠る遺跡の話 その22010年08月02日

 四万十川河口から遡ること約7キロの三里にかつて貿易港があったことまで書きました。「え~、ホントかよ?」というのがおおかたの反応だと思います。でも、証拠があるんです。
焼き物発掘

焼き物発掘
 
焼き物発掘

 鍋島焼き=古伊万里です。本当のところは中島誠之介先生にでも見てもらわないと分かりませんが、こんなのがなんぼでもあります。他にも、青磁・白磁や朝鮮半島系の焼き物の破片も出てきます。ところが、これ、田圃で出てくるんです。トラクターにたたかれて、破片ばかり。ごく稀に原形をとどめたものが掘り出されることもあるとか。今までに、伊万里のコップ弥生時代のものと思われる高坏、四万十川石でできたチョウナ等々が出土していますが、それらは発掘した人が持っていったきりだそうです。
 これだけいろいろ出てくるのですから、本格的に掘ったらよさそうなものですが、なぜかそれがそうならない。その辺のお話はまた次回・・・。
                                  つづく

四万十 三里に眠る遺跡の話 その32010年08月03日

一体何が・・・
 証拠の遺物まで出てきているのに、なぜ三里の遺跡が本格的に発掘されないか。実はその理由が分からないんです。市が2m×150mにわたり試掘して、直径1メートルの柱が出ています。炉の跡に砥石とチョウナがセットで出てきたこともあります。当然本格的に発掘となるはずなんですが、なぜかそうならない。区長が動いたはずが、なしのつぶてになる。市議が動いてたはずが、話が立ち消えになる。「あればぁやる言うとったに!なし(訳:何でだ)!」とおんちゃんが問い詰めた所、その市議さんは「止められたがよ・・・。」と答えたそうです。「誰に!」と聞くと、「それは言えん。死んだち言えん。」・・・・一体何があるんでしょう。
 おんちゃんはそれでも諦めず、県知事にかけ合ったり、出来る所は片端から働きかけをしました。でも、発掘には至っていません。三里遺跡が日の目を見る日は来るのでしょうか。

四万十 三里に眠る遺跡の話 補足2010年08月04日

 おんちゃんの話の続き。
 三里がかつて貿易港だった証拠は他にもあります。

①本願寺・東福寺・蓮台寺・常楽寺といった京都ゆかりの寺が一帯に残っている。蓮台寺の大日如来の台座には、平安時代の銘がある。
②佐賀、鍋島家の末裔や、九州出の人が今も住んでいる。 等々

 おんちゃんの話では、江戸時代の寛文6(1666)年までは三里の上の手洗(たらい)が港で、この年に起きた大洪水以後、下田に港が移ったそうです。鍋島、竹島、楠島と言った土地はこれ以前は本当の島だったものが、大水が引いたら陸になっていたんだそうです。

 この大水は記録にも残っています。

寛文六丙午七月七・八両日大風水、大川筋・小谷つへぬけ(山崩)埋り、大川筋皆々流失、人馬流死致す。中村下町大堤(岩崎堤防)切れ、家一軒も不残、町は川原に成。死人夥敷事成。

どうやら崩土により堰き止められた水が決壊したらしいんですが、三里ではこの時の大水を「みな泣きながら家にとりついたまま流されていった」と言い伝えています。

三里の遺跡、このまま眠らせておくのは惜しい気がします。

四万十 三里に眠る遺跡の話 補足の二2010年08月05日

夏ですね
 おんちゃんの話から 三里に伝わる伝説の話し。

 この村にはえらい坊さんが緋衣を着てやって来たという話が伝わっている。緋衣は身分が高い証。これが実は平家物語で名高い熊谷直実だったと聞いた。当時、船が京都の西舞鶴から通っていた。直実はその船に乗ってきたという。今、三里の部落に熊野の牛王宝印の版木が残っているが、それは熊谷直実が持って来たものだという。この話は大正生まれの広田カオル(字が分かりません)という県の役人から聞いた。

 三里の金比羅さんと島の宮の観音さんは向き合って立っている。こういう仏さんの立て方は珍しい。何か意味があるものらしい。(kawatarou注:長野の善光寺の観音さんと長野県上田市別所にある北向観音は向き合って立てられていると言います。いずれか片方だけにお参りすることを「片参り」といって忌み、必ず二つセットで参拝しなければならないと言われています。あるいは民俗学では、二柱の神の間は通りがたいものとして境界防御であると考えます。こういう考え方と何か関係があるのでしょうか。)

 三里の集落内に今は四つ辻になっている「船塚」という土地がある。ムラの人は「ボケさん」と呼ぶ。ここは19尺(約6メートル)下に船が埋まっているという伝説がある。ここの地下は水が湧く所だから、本当に船があれば保存状態はいいはず。

 伝説ですから全てが史実とは言えないかもしれませんが、歴史のロマンを感じます。

くりはちの心太もろた2010年08月06日

今日、仕事から帰ると、東京のくりはちさんからトコロテンが届いていました。
くりはちのところてん
焼き栗が評判のくりはちさんとは、古くからのお付き合いです。もう20年になります。もらったトコロテンは早速冷やして、晩酌のあてに。鍋島でもらった新生姜のすりおろしと練り辛子を添えて食べました。まろやかな味の三杯酢と新生姜、辛子がマッチして、これは美味い!トコロテンのコシ、のどごし、ともに言うことありません。ゴマと青さの香りもええです。高知バージョンはこれに柚子酢かブシュカンですかね。この猛暑を吹き飛ばしてくれる味です。
くりはちのところてん
ちなみに高知のトコロテンは出汁で食べます。中土佐町久礼の高知屋のトコロテンなどが有名どころで、これもこれで美味い。お出での際はぜひご賞味あれ。

 くりはちのトコロテンは伊豆七島産のブレンド、三杯酢は杉樽で熟成させたものを使用、そのほか、付属のゴマ、青さ海苔に至るまで純国産の無添加を使うりぐりようです。
 くりはちのトコロテンを食べてみたい方は、
電話/Fax 03-5706-3534へどうぞ。
くりはちところてん 能書き

専業主夫2010年08月07日

嵐の予感
 妻が所用で泊まりがけで高知へ。子供たちと留守番することになりました。料理はできるので困ることはないのですが、生まれてこのかた母親と離れて寝たことのない子供たち(厳密に言うと次女、長男が生まれた時がありますが、ほとんど記憶にないようです)がどうなるか心配です。おまけに冷蔵庫に食材はなし・・・。
 仕方ないので集落の人に「今晩妻が留守なんです・・・」とか何とか言って廻って何処かで晩ご飯をご馳走になろうかとも思ったのですが、家事に追われ言って廻る間もなく、結局なんやかんやで夕食時になってしまいました。こんな時は刺身に限ります。ということで鰹の刺身を村の魚屋さんで買って事なきを得ました。心配していた子供たちは、「おかあさん」の「お」の字もなくあっという間に眠りについてくれました。ホッ。むしろ妻の方が寂しがっていたりして。

四万十夏本番 でも変な天気2010年08月08日

 全国的に猛暑が伝えられていますが、ここ四万十も夏本番。

スイカをうらの水路で冷やして食べたり・・・
もらったスイカ

スイカといえばカブト虫。昨日の全国版ニュースを見てたら、高知でカブト虫大発生ってやってました。この辺りも別段異常発生というわけではありませんが、なんぼでも獲れます。
カブト虫

長女が種を播いた畑のひまわりも咲きました。
畑のひまわり
下の田圃の畦では、次女が播いたひまわりがすくすくと大きくなっています。

 雨が降ったり止んだりの今日は、虹が何度も出ました。朝は森の下の方にきれいな太い虹が架かって、出役で草刈りをしていた一同で「きれいやねぇ~」と感心しました。残念ながら写真はありません。

 午後にはこんな虹が・・・
二重の虹
分かりますかね?二重に虹が出ています。
二重の虹
肉眼では、内側から赤→紫となった外側の虹(副虹)がはっきりと確認できました。

にわか雨
昨日今日はこの雨に振り回されて、洗濯物を出したり引っ込めたりてんてこ舞いでしたが、それなりの楽しみ方もありますね。それにしても変な天気。

今年の台風は?2010年08月09日

今日も変な天気
 台風4号が発生しましたね。またハウスの屋根の巻き上げをしなければならないかもしれませんし、家の周りのものを片付けなければなりません。
 今年は春先から、蜂がいない蜂がいないとあちこちで問題になりましたが、蜂の巣もとんと見かけません。土佐では毎年蜂の巣のかけられる場所で台風の当たり年かどうかを予測しますが、蜂の巣がないというのは珍しいそうです。おんちゃんたちは「どえらい台風が来るがやないろうか?」と噂しています。

去年の今頃・・・2010年08月10日

 昨日の蜂の記事を書いていて思い出しました。去年の今頃、わたしはこんな格好をしていました。
白装束
やたら暑かったのと、殺虫剤が黄色スズメに効かなかったことを思い出しました。今日の『ヒルおび』でスズメバチの特集をやっていました。都会ではスズメバチによる被害が増加しているそうですね。都会にお住まいの皆さん、お気を付け下さい。