四万十 三里に眠る遺跡の話 補足の二2010年08月05日

夏ですね
 おんちゃんの話から 三里に伝わる伝説の話し。

 この村にはえらい坊さんが緋衣を着てやって来たという話が伝わっている。緋衣は身分が高い証。これが実は平家物語で名高い熊谷直実だったと聞いた。当時、船が京都の西舞鶴から通っていた。直実はその船に乗ってきたという。今、三里の部落に熊野の牛王宝印の版木が残っているが、それは熊谷直実が持って来たものだという。この話は大正生まれの広田カオル(字が分かりません)という県の役人から聞いた。

 三里の金比羅さんと島の宮の観音さんは向き合って立っている。こういう仏さんの立て方は珍しい。何か意味があるものらしい。(kawatarou注:長野の善光寺の観音さんと長野県上田市別所にある北向観音は向き合って立てられていると言います。いずれか片方だけにお参りすることを「片参り」といって忌み、必ず二つセットで参拝しなければならないと言われています。あるいは民俗学では、二柱の神の間は通りがたいものとして境界防御であると考えます。こういう考え方と何か関係があるのでしょうか。)

 三里の集落内に今は四つ辻になっている「船塚」という土地がある。ムラの人は「ボケさん」と呼ぶ。ここは19尺(約6メートル)下に船が埋まっているという伝説がある。ここの地下は水が湧く所だから、本当に船があれば保存状態はいいはず。

 伝説ですから全てが史実とは言えないかもしれませんが、歴史のロマンを感じます。