四万十 三里に眠る遺跡の話 補足2010年08月04日

 おんちゃんの話の続き。
 三里がかつて貿易港だった証拠は他にもあります。

①本願寺・東福寺・蓮台寺・常楽寺といった京都ゆかりの寺が一帯に残っている。蓮台寺の大日如来の台座には、平安時代の銘がある。
②佐賀、鍋島家の末裔や、九州出の人が今も住んでいる。 等々

 おんちゃんの話では、江戸時代の寛文6(1666)年までは三里の上の手洗(たらい)が港で、この年に起きた大洪水以後、下田に港が移ったそうです。鍋島、竹島、楠島と言った土地はこれ以前は本当の島だったものが、大水が引いたら陸になっていたんだそうです。

 この大水は記録にも残っています。

寛文六丙午七月七・八両日大風水、大川筋・小谷つへぬけ(山崩)埋り、大川筋皆々流失、人馬流死致す。中村下町大堤(岩崎堤防)切れ、家一軒も不残、町は川原に成。死人夥敷事成。

どうやら崩土により堰き止められた水が決壊したらしいんですが、三里ではこの時の大水を「みな泣きながら家にとりついたまま流されていった」と言い伝えています。

三里の遺跡、このまま眠らせておくのは惜しい気がします。

コメント

_ nohohoon ― 2010年08月05日 07時49分

凄い!これは調べるべきだと思います。今、肝心の主人が出張中・・・戻ったらブログを見せます!!

_ kawatarou ― 2010年08月05日 22時54分

nohohoonさん、今晩は。そういってもらえると三里のおんちゃんも喜ぶと思います。でもなぜか本格調査にならない。私たちの知らない何らかの力が働いているらしい辺りが不気味です。

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