四万十の知友 ― 2009年08月17日

移住するまで、四万十川に16年間通いました。相棒のIと旅していた時は、体力があったのと懐が寂しかったのとでほとんどハイエース車中泊で、源流から河口まで隈無く旅しました。国土地理院の二五〇〇〇分の一地図をみながら、通った道を塗りつぶしていきました。ルールは決して飛ばさないことと、旧道がある場合必ずそっちを通ること。トンネルなら30秒かからない移動も、旧道を通れば軽く30分は楽しめます。川を見に来たのに川が見えんトンネルを通ってどうする、今でもそう思っています。仕事に行くのにはトンネル通りますけどね。当時は土砂崩れによる通行止めや工事の時間制限通行止めがやたらと多く、2キロ以上バックで戻らざるを得ないこともありました(Uターンできるスペースが皆無だった)。こんな旅をしていたので、四万十広域については地元の人にも負けない自負があります。端から見ればただの角刈りおんちゃん二人ですが、子供には珍しかったらしく、よく子供が遊びに来てくれました。家地川で集落の子供とカブトムシを捕りにいったことや、目黒川の沈下橋で、近所の子供と作ったそばを食べたことなどを思い出します。学生時代には中村の土産物屋で住み込みの居候して三ヶ月暮らしたこともあります。名目は研究のため。川漁師のおんちゃんの話をフィールドワークして歩いていました。おかげで知りあいが大勢出来ました。今のアルバイト先でもひょっこり旧知の人にあったり、話してみると共通の知人がいることが分かったりすることがしょっちゅうです。それはもう怖いくらいの頻度です。狭い世界ですからこちらの知人がつながるのはまだ分かりますが、少し変わったところで、私の大学のゼミの先輩が東京のH大学で教えているのですが、その先輩がアルバイト先に毎年学生を連れてやって来ていたことが分かりました。先輩の筆跡の郵便をたまたま受け取って、あれ?と思ったことがきっかけでした。こうなると少し気持ち悪いくらいです。
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